「あなた方のなすべき礼拝」
11月24日礼拝説教 寺島謙牧師
ローマの信徒への手紙 12章1~2節
ローマの教会の信徒達に、使徒パウロは次のように勧めた。「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」。キリスト者の生活の中心は礼拝であるが、それは日曜日の礼拝だけではない。日曜日の礼拝を起点として、キリスト者の生活の全部が礼拝になることをパウロは教えている。かつてイスラエルの民は、動物の犠牲を捧げることによって、神に礼拝を捧げていたが、これは本当の礼拝ではない。動物の犠牲を捧げるというのは一つの象徴である。だが、イエス・キリストの十字架の犠牲によって、人間の罪が赦されて真の礼拝を神に捧げることが出来るようになったのである。それは「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けにえとして献げる」礼拝である。礼拝とは自分の身も魂も全てを神に捧げて生きることである。「聖なる生けにえ」というのは、神のものとして聖別されるという意味で、私達の全生活が神のものとして生かされ導かれるようになるということである。何が神の御心であるか、何が神に喜ばれる生き方であるかを知り、歩んでいく力を、礼拝において与えられるのである。