教会学校
教会学校では、お母さんやお父さんに連れられた幼児のお友達から、小学生、中学生、高校生といろいろな年代の人たちが集まります。みんな神さまに導かれて、教会に集った仲間です。
エスさまは、子どもが大好きす。このページをご覧になった方は、どうぞ一度いらしてください。私は、子どもじゃないから、ダメなのでは…そんな心配はいりません。子どもと大人が入り混じって、神さまについて学んでいるところが、教会学校です。
「神殿の完成」
列王記上8章22~30.節
先父ダビデ王の死後に王位に就いたソロモン王は神さまの前に謙虚になって祈り願いました。民の訴えを正しく聞き分ける王としての知恵を求めました。神さまはソロモン王の言葉を喜ばれて、知恵に満ちた賢い心をお授けになることを約束されました。知恵をいただいたソロモン王は王として正しく働き、神さまが喜ばれ民が喜ぶことを考えて行動をしました。それにより国は豊かになり平和になったのです。
神さまは父ダビデ王の神殿建築をお許しにならず、その子ソロモンが建てるべきとお考えでした。そしてソロモン王が王になって4年後に、エルサレムに神殿を建てることを許されました。
この神殿は7年の歳月をかけ、十数万の人の力を使い、莫大なお金をかけて完成しました。大きさは縦が約30m、横が約10m、高さが15mの三階建でした。神殿は石造りで、大きな石を石切り場で寸法に合わせて切って運んできて建てられました。内部はレバノン杉というレバノンの山から切り出した木材が貼られていました。そして祭壇だけでなく全体が金で覆われ、礼拝で使う祭具もすべて金製であったと言われています。これらを装飾する技術者や職人さんは外国からも集められました。こうした資材や人材、設計図などはダビデ王のときから準備され、ソロモン王に託されたのでした。完成した神殿は、その当時のソロモン王の財力が惜しみなくつぎ込まれた最高に豪華な神殿となったのでした。ソロモン王は神殿の完成を祝うために集められたイスラエルの人々の前に立ち、天に向けて両手を広げて祈りました。
「イスラエルの神よ、主よ。天にも地にもあなたのような神さまはおられません。あなたは心を尽くしてあなたを信じ、あなたに仕えて歩む者との契約を守り、恵みを与えられます。父ダビデになさった約束を、これからも守り続けてください。」という感謝の祈りです。神さまはダビデとの約束を守ってくださった、これからも神さまの教えを守り続けるなら、どうかわたしのこどもたちも神さまがお守りくださいますように、ということです。
さらに続けて「あなたは地上にお住まいになる方ではありません。わたしが建てたこの神殿など、あなたにふさわしくありません。」と、立派な神殿を完成させたはずのソロモン王がそのように祈るのです。本当に知恵のある賢明なソロモン王は神さまのことを良く知っていました。どんなに立派な建物であったとしても、神さまの立派さ、素晴らしさにはかなわないということを。どんなに人間が豪華な場所を造ったとしても、人間が計り知ることのできないお方である神さまの住まいにふさわしいものにはならないのです。
そのことをわかった上で、ソロモン王は続けて心から願ってお祈りします。「しかし、ここは祈りの家です。どうぞ、この神殿に目を注いで、ここで祈るわたしたちの声を、天でお聞きになってください。わたしたちの罪をおゆるし下さい。イスラエルの人々があなたに罪を犯したために敵に打ち負かされたとき、あなたに立ち帰ってあなたを賛美し、この神殿で祈り憐れみを乞うなら、あなたは天にいまして耳を傾け、イスラエルの罪をおゆるしくださいますように。」と。この神殿が、祈りの場所、罪の赦しの場所になりますように、そして人が神殿で祈る時、天におられる神さまが耳を傾けて聞いてくださって、これに応えてくださいますようにと、イスラエルの人々が罪を犯し、罰を受けても、悔い改めるときには赦してくださいという祈りです。
ソロモンの神殿と言われたこの建物は、その後バビロンによって破壊され(BC587)、50年後にペルシアの王によって再建が許されたものの、ソロモンのものに比べてみすぼらしいものでした。その後イエスさまの時代に、ヘロデ王が拡大して立派な神殿にしましたが、ローマによって破壊されました(AC70)。今は「嘆きの壁」という石垣の一部が残っているだけです。
今のわたしたちにとっての神殿は教会です。イエスさまの十字架と復活によって建てられた、主の身体なる教会です。わたしたちはソロモンの祈りにあったように、今朝も、「祈りの家」である教会で、神さまに立ち帰って罪を悔い改め、神さまの憐れみによって罪の赦しが与えられるのです。そして神さまと人に仕える新しいいのちに生きる道へと導かれるのです。この幸いを感謝してお祈りしたいと思います。