創世記9章12~17節
今日のお話の題は、「神さまの約束のしるし」となっていますね。ところで、「約束のしるし」って何だと思いますか。みなさんもきっと好きなものです。雨上がりの空によく見られる7色のアーチ、「虹」のことなのです。虹には特別な魅力があり、特別な力や恵みを私たちに与えてくれることがあるというのは、事実ではないでしょうか。今日の聖書のお話で、神さまが約束のしるしとして「虹」を私たちに与えてくださったのはなぜなのでしょう。なぜ虹だったのでしょう。虹というのは、美しい七色の神秘的な色合いをしていますね。そのことが印象的なのですが、もうひとつ大きな弓の形をしています。弓は武器の一つ。神さまは、武器である弓を地上に置かれた。これから先、人間を撃つことは止めるとい約束を表した「しるし」であると教案には書かれていました。
先週までのお話で、神さまが人間をこの世から滅ぼすことを決心されたということを学びました。自分の似姿として創造された人間が神さまを悲しませるような悪いことばかりするので、神さまは人間を造ったことをひどく後悔され、人間だけでなくすべての生き物を洪水によって滅ぼしてしまおうと決心されたのです。しかし、神さまは、心から神さまに従って生きてきたノアとその家族、そして一つがいずつの生き物だけは特別に救うため、箱舟の作り方を細かくノアに教え、ノアはその教え通りに箱舟を完成させました。その箱舟にすべての生き物たちと一緒に乗ることを神さまに命じられた後、激しい雨が降り始めました。大雨は40日40夜降り続き、陸はすべて水の中に沈み、船に乗らなかったすべての人間や生き物はことごとく死んでしまいました。しかし、船に乗ったノアたちだけは生き延びることができたのです。
やっと水が引き、神さまから船を出ることを赦されたノアたちは、やっと水が引いて乾いた地上に降り立ちました。そして一番にしたことは礼拝でした。船の中で激しい揺れや雷の鳴り響く音に怯えながら、神さまに祈り続けてきたノアたちでした。生きて地上に降り立つことができたことは、どれほどうれしかったことでしょう。神さまへのあふれんばかりの感謝の気持ちを表すために、家族総出、生き物たちも総出で、礼拝を捧げたのです。その行為を神さまはとてもお喜びになりました。そして、神さまは新たな決心をされました。どんな決心をされたかというと、「すべての生き物を滅ぼす。」という決心とは逆で、「これからは、あなたたち人間やすべての生き物を滅ぼすことは決してしない。」というものでした。その決心を忘れないために、神さまは雲の中に虹を置かれ、それを見る度に、その約束に心を留めるとノアと約束をされたのです。
そして、神さまは破格ともいえる寛容さを私たち人間に示してくださいました。「人が心に思うことは、幼い時から悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。」というものでした。私もそうなのですが、人間は、表面的には悪いことは考えてもいないような顔をしていても、心の中ではいろいろな悪いことを考えてしまいます。自分のことが一番で、人のことにまで想像が及びません。自分のところに富や名誉や信頼や愛情が集まることを求めてしまいます。それが脅かされそうになると、人を妬んだり、恨んだり、攻撃しようとさえします。そして、人間同士が殺し合う戦争という行為にまで及んでしまうことが今でもいろいろなところで起こっていますね。何の罪もない、何の恨みもない人通しが戦い、ミサイルが撃ち込まれることで、家や町が破壊され、夥しい尊い命が奪われていきます。命が奪われなくても、大きなけがをして一生不便な体で生きていかなければならなくなったり、家や家族を失ったり、信仰すら失ってしまう人たちが大勢いることを私たちはみんな知っています。しかし、戦争の判断を下した一部の人間は、そんな人たちの悲しみの声や嘆きを想像することすらないのでしょうか。平然とした態度で、自分たちの判断は正しかった、この戦争は間違いではない、正義の戦いだとまで言い切ります。自分の罪を認めようとはしません。内心では罪を感じているのかもしれません。でも、それを正当化する術を使いつくそうとするのです。
しかし、よくよく考えてみれば、わたしたち自身だって似たようなものかもしれません。テレビで悲惨な戦争の映像を見て辛い気持ちになっても、次の映像に切り替わり、明日の天気予報が始まると、「明日はいい天気だ。どこにいこうかな。おいしいものがたべたいな。」と、さっきの辛い気持ちはどこかに飛んで行ってしまいます。戦争に苦しむ人たちのために何かできないかと考えても募金をするのが精一杯で、しかも一度募金をすれば、自分にできることはすべて終わったような気持ちになってしまいます。やっぱり自分の身に直接災難が降りかからなければ、その災難の中にある人たちの苦しみや悲しみを本当に感じ取ることができない。人間はそういった限界をもった生き物なのでしょう。
「人が心に思うことは、幼い時から悪いのだ。だから、悪いことをしたからといって、生き物をことごとく打つことは二度とすまい。」そう決心された神さまを、寛容な神さま、優しい神さま、愛に満ちた神さまとただ喜んでいたのでよいのでしょうか。武器である虹を置かれた神さまに対して、私たち人間は、お互いに武器を向け合ったままでいます。神さまが大切に造られ、ノアの箱舟に一緒に乗せられた生き物の住みかや食べ物を奪い、絶滅させてしまった動物もたくさんいることでしょう。自分たち人間に何ができるのかと考えた時、私たちは本当に無力感でいっぱいになってしまいます。しかし、私たち人間は、次の世代に生きる子どもたちや孫たち、そして子孫のために、この地球をよりよい姿で残す責任を負っています。神さまにお委ねするということ。自分たちの力を依り頼むのではなく、神さまにすべてをお任せしなさいと教会では教わります。わたしなどの信仰の薄い者はそれを都合の良いように解釈して、神さまが何とかしてくださるから何もしなくていいのだと考えがちなところがあります。でも、それは間違いでしょう。私たちに、ご自分の独り子のイエスさまをも与えてくださり、私たちの罪を赦してくださっている神さまの愛に応えなくてはならないはずです。神さまが空に置かれた七色の虹には、神さまが私たちを打つことをしないという代わりに、大事な宿題を努力義務として私たちに課しておられると考えます。赤、オレンジ、黄色、黄緑、水色、青、紫。その七色に込められた神さまの思いを想像してみました。
赤は、熱意。人間同士のお互いに立場や気持ちを思いやりなさいということ。
オレンジは、それを行動に移し、身近な人たちと助け合いなさいということ。
黄色は、富や名誉ではなく、本当に大切なものは何か考えなさいということ。
黄緑は、人間にとっての快適さを求め過ぎないようにしなさいということ。
水色は、豊かな環境を後世に残しなさいということ。
青は、当たり前のことを大事にできる人間になりなさいということ。
紫は、命あることを神さまにいつも感謝しなさいということ。
そんなことを考えさせられた今日の聖書のみ言葉でした。
お祈りします。
神さまの似姿として造られている人間は、神さまの寛容さや優しさや愛に応えることができる存在であると信じます。人間はみんなノアさんの子孫であり、神さまとノアさんの約束によって生かされていることを今朝は知りました。命を与えてくださっている神さまに深く感謝し、人間同士が支え合って生きていけますように、神さまが想像された地球の環境を守っていくことができますように、どうかお支え、お導きください。イエスさまのお名前によって祈ります。アーメン。