教会学校

 今年度、教会学校では、旧約聖書について学んでいます。今日のお話は、創世記の中に出てくる「バベルの塔」についてでした。神さまは、人間たちが思い上がって建設したバベルの塔をご覧になり、危機感を募らせられたのでしょう。このまま放っておいたら、もっともっと思い上がり、何をしでかすか分からない。そこで神さまは、人間が使う言葉をばらばらにする(バラル)ことによって、人間たちが協力し合うことが難しいようにされました。それぞれの国で、また同じ国でも地方によって、今でも言葉には違いがあります。隣国であっても、例えば日本と韓国でも、使っている言葉や文字は全く違っているのです。実に不思議なことです。この違いは、確かに違った言葉を使う人間同士が交流する上では障害となることでしょう。しかし、違う言葉を使っていることで、国民としての自覚や連帯感も生まれてくるはずです。

 今、ネットワークの発達や翻訳技術の進歩により、国の隔たりはどんどん狭くなってきているように感じます。しかし、他方では、世界の各地で起こる戦争によってその隔たりは逆に広がっているようです。

 こんな現実を神さまは天からどのようにご覧になっておられることでしょう。神さまの御心を問い求めることが私たち人間には常に求められていることだと今日の説教を聞いていて強く感じました。