説教題 「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」寺島謙牧師
マルコによる福音書1章9~11節
1月6日にキリスト教会は、公現日を迎えた。公現日は主イエスが洗礼を受け救い主として歩まれるようになったことを覚える時である。つまり主イエスこそ、全ての人間に真の救いを実現するメシアであることが明らかになった。だが、罪なき神の独り子が洗礼を受けたとは実に不思議である。事実、マタイによる福音書では、主から洗礼を授けて欲しいと頼まれた洗礼者ヨハネが躊躇する様子が描かれている。だが主は強いてヨハネから洗礼を受けた。それは、主が受けた洗礼は、やがて御自分が本当に受けねばならないバプテスマが何であるかを端的に示しているからである。「しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう」(ルカ12:50)。全ての罪人の赦しと救いのために、主はここから十字架の死を目指して歩むことを決心された。そしてこのことは、何よりも天の父なる神の決意に基づくことであったことを聖書は証言する。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と神は宣言された