旧約聖書を読むときには、その出来事がイスラエルの歴史のうちのどこで語られているかを意識することが大切です。今日取り扱う「ホセア書」は、紀元前800年ころの話になります。ホセア書に名前の挙がっている王たちは、主の目に悪とされることを行ったと書かれています。偶像を造って礼拝し、主の目に明くとされることを続けていたのです。
イスラエル王国は、アッシリアに攻められていました。今まではアッシリアに貢物をすることで何とかなっていましたが、エジプトに助けを求めたために、アッシリアが怒り、とうとうイスラエルを滅ぼしてしまったのです。イスラエルは、周りの国にとうとう滅ぼされてしまったのです。それまでは何とかなっていたのに、どうしてそうなってしまったのでしょうか。その答えを列王記を読むとわかります。イスラエルは、出エジプトの出来事のときから、神さまに守られてきました。しかし、イスラエルの王は、他の神々を恐れ敬ってしまったのです。全ての町の聖なる高台に石柱やアシュラ像を置き、拝むことをしていました。本当の神さまがエジプトからイスラエルの民を救い出し、豊かな生活を与えたのに、イスラエルの民は、外の神さまに感謝しようとしたのでした。それで、神さまは、ついにイスラエルの国を滅ぼしたのでした。
ホセア書に戻りますが、神さまは、小さい時からイスラエルを大切にして育ててきたお母さんのような存在であったことが書かれています。神さまは、イスラエルをエジプトから救い出し、育て上げていったのに、イスラエルは自分から去っていきました。そして、他の人に対して、「あなたがお母さんです。」と言ってしまうような歩みをしてしまいます。もし、それでも、イスラエルの人たちが幸せに生きていけるのならいいのですが、別のお母さんというのは、イスラエルの人を大切にするお母さんではなく、人々はそのお母さんのもとで苦しい生き方をせざるを得なかったのです。本当に人間のことを愛してくださる神さまは一人しかいらっしゃいません。イスラエルが新しいお母さんとしたアシュラや石柱は、ただの木や石でしかなかったのです。それは、本当のお母さんではありませんでした。
神さまは、そのことに気が付いてほしいために、イスラエルをアッシリアに滅ぼされるようにしました。本当の神さまのことに気付き、帰ってきてほしいという思いが、ホセア書では、「ああエフライムよ、お前を見捨てることができようか。」と語られています。11節には、「わたしは、彼らをおのおのの家に住まわせると主は言われる。」と書かれています。後の時代にイスラエルは元の地に戻り、民は生きていきました。イスラエルの民と同じように、神さまは、わたしたちを本当いに愛してくださっているのですよ。