6月27日 CS礼拝「主イエスの家族とされる」

 私たちに家族がいるようにイエスさまにも家族がありました。お父さんは大工をしていたとヨセフという人でしたが、イエスさまが大人になった頃にはもう亡くなっていました。お母さんはマリアという名前の人でありました。それから名前は分かりませんが、兄弟が何人かおりました。そのお母さんのマリアと兄弟たちが、イエスさまがおられたある家の入り口にやって来ました。そして人に頼んでその家の中にいるイエスさまを呼んだのです。この時丁度、大勢の人々がその家に集まっておりました。人々はイエスさまのお話を聞きたくて周りに座っていましたが、そこへ「御覧なさい。あなたの母上と兄弟姉妹たちが家の外に来て、あなたを捜していますよ」と人が呼びにやって来ました。イエスさまは,とても忙しく歩き回っていましたから、お母さんのマリアさんをはじめ兄弟たちは皆心配していたでしょう。それでみんなでイエスさまを捜しに来たのです。イエスさまもお母さんや兄弟たちの気持ちは分かっていたと思います。ところが、イエスさまはこうお答えになったというのです。「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」。随分ひどい言い方です。そして、ご自分の周りに座っている大勢の人たちを御覧になられて、イエスさまは「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる」と言われました。せっかくお母さんたちが心配して来ているのに、それを無視したような言い方です。
何故、イエスさまはこんなことを言われたのでしょうか。お母さんや自分の兄弟たちが心配して捜しに来てくれたことをどのように思われたのでしょう。それはイエスさまが母親のマリアさんを持つ一人の人間であったと同時に、イエスさまは神さまの独り子であったことに理由があります。イエスさまは全ての人を天の父なる神さまの元に導くために、神さまの元を離れ、そして私たちと同じ一人の人間としてお生まれになられたのです。私たちには、お母さん、そしてお父さんがいます。色々な事情でお父さんがいないお友だち、お母さんがいないお友だちもいます。それから病気や年を取ってお父さんもお母さんも亡くなってしまった人も沢山います。でも必ず私たちには、私たちを産んでくれたお母さん、お父さんがいます。そのお父さんやお母さんにも同じようにお父さんやお母さんがいたのです。じやあ、私たちにお父さん、お母さんをくださったのは誰でしょう。それは神さまです。イエスさまのお父様である天の父なる神さまが、私たちに与えて下さったのです。それだけではありません。神さまは私たちに命を与えて下さった。私たちは神さまに生かされているのです。今、コロナウイルスで世界中が大混乱しているでしょう。私たちも毎日マスクをして不安を覚えています。でもコロナウイルスだけではない。考えると私たちは色々な心配事や不安を覚えることが沢山ある。でも神さまに生かされているということは、必ず神さまは私たちと一緒にいてくださるということ。そしてどんなときも望みを持って生きることが出来るのです。
イエスさまは、お母さんのマリアさん、自分の兄弟たち、それから集まっていた大勢の人々、それから今日、こうして礼拝に集まっている私たち、全ての人間を父なる神さまの元に招いておられるのです。そして「神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」と言われたのは、神さまを見上げ、神さまに信頼して毎日を生きる、その人たちこそ、私の本当の家族だと言われたのです。私たちは生まれも育ちも年齢も性別もそれぞれ違いますが、イエスさまを信じることによって私たちは神さまをお父さんと呼ぶことの出来る神の家族になれるんです。この交わりはどんなことがあっても失われません。礼拝堂の右側にこの教会で信仰生活を歩まれて亡くなられた沢山の方々の名前が書かれているプレートがあります。この方たちの姿はもう見ることは出来ませんが、でも神さまはお忘れになられていません。そして私たちもこの方々と共に毎週の礼拝を守っています。天にある者も地上で生きる私たちも神さまの家族なのです。そのような確かな交わりを、神さまはイエスさまを通してお与えになられています。皆さんも既に神の家族の一員です。