列王記下23章1~3節
今日の聖書の個所は短いのですが、お話は、22~23章に渡っています。偶像礼拝を禁止する主なる神の戒めに背き、ご利益を求めて、異教の神々を祀るイスラエル王たちの中で、南ユダ国のヨシア王は「申命記改革」と呼ばれる宗教改革を行い、異教の神々との決別を行いました。
ヨシア王は、わずか8歳で南王国ユダの王様になりました。そのころ、イスラエルの人々が住んでいたカナンでは、バアルという男の神さまと妻のアシュラという女神の像を祀って拝んでいました。バアルとアシュラが一緒になることによって、農作物が豊かになり、ヒツジやヤギなどの家畜がたくさん産まれると信じたからです。また、太陽や月、星を拝む人もいました。イスラエルの人々は、先祖アブラハムを選んで祝福し、モーセによってエジプトからイスラエル人を救い出された天地万物の創造主、まことの神さまを信じていました。しかし、まことの神さまは目に見えません。
カナン人は、バアルやアシュラの像を祀っています。イスラエルの人々もご利益をいただくために、目に見えて手で触ることができる神さまの像を造って拝む方が確かであるような気がしました。そこで、「あなたには私をおいて、ほかに神があってはならない。」という十戒に背いて、木や石、金、銀、銅などで偶像を造りました。それに王様は戦争で買って、強い国になるためにもご利益を与えてくれる偶像の神々を拝む方がよいと思ったからです。王様は偶像を主なる神さまを礼拝する場所に並べて、礼拝しました。
26際になったヨシア王がエルサレム神殿の工事をしているときのことでした。大祭司が聖書の中の「律法の書」の古い巻物を発見しました。書記官がその巻物を読み上げた時、それを聞いたヨシア王は神さまの前に悔い改めて、来ていた衣を引き裂きました。というのは、「イスラエルの人々が、律法のみ言葉を守らなかったので、神さまは怒っておられる」と書いてあったからです。(22:13)
ヨシア王は、ダビデやソロモン王に続く王様たちが神さまとの約束である実家の第一戒「あなたは、私をおいて、他い神があってはならない。」第二戒「あなたは、いかなる像も造ってはならない」という戒めを破っていたことを知っていました。「このままでは、国が滅ぼされてしまう」と思った王様は、大預言者フルダに助けを求めました。フルダは、「神さまは怒っておられますが、ヨシア王が心を痛め、悔い改めて衣を咲き、泣いたことを喜ばれ、赦してくださいます。」と告げられました。
そこで、王様は、全ての人々を神殿に集め、神殿で見つかった「律法の書」を始めから終わりまで読んで聞かせました。そして、これからは、主なる神さまに従って歩み、心を尽くして、魂を尽くして神さまの戒めである律法を守っていくことを誓いました。人々も皆、誓いました。
ヨシア王は、神殿に持ち込まれたバアルやアシュラの像を運び出して焼き払いました。また、これまで、王たちがあちこちで築いていた偶像を運び出して焼き払いました。また、偶像の礼拝所を取り壊しました。そして、長い間行われていなかった術エジプトの救いを思い起こす「過越祭」を祝い、主なる神さまへの信仰を取り戻しました。
このところを学びながら、私も昔を思い起こしました。私も小さいころから偶像と呼ばれる人間が造り上げた多くの神々に祈り、頼る生活の中で育ちました。病気の時、困った時、願い事や欲望をよろずの神々に必死でお願いした覚えがあります。困った時の神頼み、偶像礼拝につながる行為ですね。なにかに頼らないと生きていけない、弱い人間ですから、おまじないをしてみたり、お守りになるような小物を身に付けたりしたことを思い出します。
でも、今日学んだヨシア王が信じた神さま、私たちの人事るただお一人の真の神さまは、いつも私たちと向き合ってくださり、苦しい時も困った時も、私たちと共に歩んでくださる、と言うのです。神さまを信じる私たちを絶対に見捨てないと言われるのです。一週間の生活を終えて、日曜日に礼拝を守り、み言葉を聴き、祈り、そしてまた神さまに罪赦されたものとして、新しい一週間を生きることができると思います。
父なる神さま、私たちがしっかり神さまにつながっていることができますように、守り導いてください。今日教会に来ることができなかったお友達にも神さまの祝福を豊かにお与えください。主イエス・キリストのみ名によって祈ります。アーメン。