サウル、王となる

 サムエル記上10章20~27節

  今日は、サウルという王様のお話です。始めにサウルという人物がどのような位置にある人なのかということを系図を見て調べてみました。イスラエルと呼ばれたヤコブには、何人かの妻がいましたが、その一人ラケルから、ベニヤミンが産まれ、その系図をたどっていくと、サウルが出てきます。

 では、サウルは、どうして王になったのでしょうか。当時のイスラエルは、王制ではなく、神さまが王であると考えられていました。改めて王という地位を置くことを考えていなかったのです。ところで、当時のイスラエルはペリシテ人という部族に戦争を仕掛けられて脅かされていました。その恐怖から逃れるために、命令一つで人を呼び寄せられる王が必要であると民衆は考えていました。そして、ついに民衆や長老の声に負け、王を立てることをサムエルは認めざるを得なくなったのです。サムエルには、二人の息子がいましたが、わいろを受け取るなどよくない行為があり、息子に自分の役目を委ねることができなかったことも原因だったでしょう。

 今回は、くじを引くという方法で王が選ばれます。くじというのは偶然性が高いので、いい加減な選び方ではないかと考える人も多いと思います。どうしてくじで王を選んだのでしょう。それは、くじには、神さまの御心が反映されると当時の人は受け止めていたからでした。そして、くじが引かれ、サウルが選ばれました。しかし、サウルは荷物の陰に隠れていたように、気の弱いところもあったようです。しかし、油が注がれ、サウルは王となりました。

 王となったサウルは、戦に勝ち続けました。しかし、そのうちにだんだん傲慢な人物に変わっていきました。そして周りから顰蹙をかうことも多くなり、サウルのことをよく思わない人が増えていったのです。そんなサウルに対してサムエルも手を切ることを決め、次にダビデを王として立てることになったのです。

 王や為政者と呼ばれる人たちが、必ずしも立派な人とは言い切れません。それは今の社会でも言えることです。人間はパーフェクトな存在ではなく、欠点を見せてしまうのです。神さまはそんな人間を認め、赦して、何んとかいい社会を作ろうとしてくださいます。それが神さまの御心です。その御心を実現していくことはなかなか難しいのですが、神さまに赦されて、人生を歩んでいるのが人間なのですね。