ヨシュア記 第24章11~18節
モーセは、イスラエルの民をエジプトから導き出す、そのリーダーの仕事を、神さまから任されていまし た。モーセが亡<なった後、神さまから新しいリーダーとして選ばれたのがヨシュアです。
神さまはヨシュアに言いました。
「一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたようにあなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。」
ヨシュアは神さまから勇気と力をいただいて、イスラエルの民を導きます。
エジプトから助け出されたイスラエルの民は、ヨシュアと共に、神さまから示された約束の地を目指して、荒れ野を旅していました。荒れ野での生活は、とても厳しいものでした。食べ物がない、飲み物もない。昼間は暑<、夜はとても寒い。イスラエルの民は、あまりの辛さに、こんなことなら、エジプトで奴隷として暮らしていた方が良かったと言いました。いつになったら、約束の地に到着できるのか、全く分からない旅でした。
けれども、神さまはどんな時もイスラエルの民を守り、食べるものや飲み物を用意してくださいました。さらに、彼らの着ている服は破れず、足の履物もすり減らないようにしてくださいました。それは、不思議な体験でした。イスラエルの民は、毎日を神さまの力に守られ、助けられて過ごしたのです。こうして旅をすること40年!ついに約束の地に到着する時が釆ました。
そこでヨシュアは、今の生活のすべてが神さまからの恵みであるから、わたしたちは先祖の時代から今日に至るまで導き守ってくださるただお一人のまことの神さまだけを信じて仕える責任がある、とイスラエルの民に言い聞かせました。
けれども、ヨシュアはこのことを押しつけません。
「あなたたちが仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」ときっばりと言いました。
どの神に仕えて生きるかは、他の人から強要されるものではありません。その人の自由意志によって決定されるものです。誰かの言うとおりに生きるのではなく、何が最も大切かを自分で選ぶ力を育ててい<ことが望まれています。
イスラ工ルの民は答えました。
「わたしたちは主なる神さまに仕えます。これからもずっと、神さまと一緒に生きてゆきたいです。」
こうしてシケムという場所で、イスラエルの民は、まことの神さまだけを信じて仕えるという約束をしたのです。それをシケムの契約と言います。
エジプトからイスラエルの民を救い出した神さまが、ヨシュアに語ったように、今日も神さまはわたしたち一人ひとりに語りかけて<ださっています。
「一生の間、あなたの行く手に立らはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたようにあなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。」
この言葉は真実です。
わたしたら-人ひとりの一生は、神さまによって守られています。ひとときも見放されたり、見捨てられたりすることはありません。
そしてわたしたちが何を信じて生きるのかは、わたしたちの自由意志に任されています。わたしたちには何が最も大切かを選び取る力があると信じて、神さまは待ってくださっています。そして、わたしたらが神さまを信じて一緒に生きていきたいと自分で決めることを喜んでくださいます。
わたしたちが、最も大切な人生の道を選んで歩んでいくことができるように、神さまはいつもわたしたちを守ってくださっています。わたしたちは神さまと一緒に、一人ひとりの人生の道を開いていきたいと思います。
お祈りします。
<祈り>
天の父なる神さま。今朝、共に聖書の言葉をきく時を与えて<ださり、ありがとうございます。
イスラエルの民をエジプトから救い出された神さまは、今もわたしたちを救い出そうとしてくださっています。わたしたらがそれぞれの人生で決断に迫られるとき、御心にかなう道を選ぶことができますように。わたしたちの心を導いて<ださい。この祈りをイエスさまのお名前を通して、おささげいたします。 アーメン。