出エジプト記20:1~17
今朝は、神さまがモーセを通してイスラエルの人々にお与えになられた十の戒め「十戒」についてお話ししたいと思います。十戒というのは、神さまがイスラエルの人々にこれを守って歩みなさい、生活するようにとお命じになられた十の約束です。その十の約束が今朝の聖書に書いてあるのですが、整理して皆さんにお伝えしたいと思います。
1.あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない(3)
2.あなたはいかなる像も造ってはならない(4)
3.あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない(7)
4.安息日を心に留め、これを聖別せよ(8)
5.あなたの父母を敬え(12)
6.殺してはならない(13)
7.姦淫してはならない(14)
8.盗んではならない(15)
9.隣人に関して偽証してはならない(16)
10.隣人の家を欲してはならない(17)
・‥「してはならない」と言われてますね。何だか学校の校則みたいで厳しい感じがします。この十の戒めを丁寧に見てみると、1~4までは神さまに対して人間の生き方について命じられています。そして5~10までは、人と人との関係というか、一緒に生きている人に対してどのように向き合わなければならないか、どのように相手に接して生活していかなければならないかについて命じられています。
実は、この十の戒めをイスラエルの人たちにお与えになられた神さまは、今、私たちが礼拝を捧げている神さまと同じ方なのです。ですから十戒というのは、私たちにとって無関係ではなくて、神さまは私たちにもこの十の戒めを守るように命じておられるのです。
すると、神さまは何か、私たちを監視して、戒めを守らないと厳しく罰せられようとお考えになられているのでしょうか。そうではないのです。実は、この十戒がイスラエルの人々に与えられた時、人々はエジプトを脱出してこれから荒れ野を何十年も旅しながら生きていかなければならなかったのです。荒れ野は何もありません。家も無ければ、毎日取らなければならない食事の材料も、水も中々得ることは出来ません。自分たちの身を守る物や命を養い生かす手立ては荒れ野には無かったのです。でも神さまは、そういうイスラエルの人々を荒れ野で養い、-人一人の命を生かして、どうすれば人々が互いに助け合い、認め合い、また赦し合って共に生きていくためにはどうすればいいか、そのことを一生懸命にお考えになられて、お与えになられたのが十戒であったのです。神さまはこの世界を造られたお方です。そして人間をも造られ、命を生かしておられるお方です。一人として神さまによって造られなかった人間はいないのです。皆、神さまから命を与えられ生かされているのです。このことを神さまは知らせるためにまず、イスラエルの人々をお選びになられました。イスラエルの人々が荒れ野で40年生き延びることが出来たのは、神さまを知り、神さまを信じて歩んだからです。そして神さまが生かしておられる色々な人たちとどうしたら仲良く、そしてお互いを受け入れ合って、助け合って、愛し合って生きるにはどうすればよいか、十戒を通して教えてもらったので、皆で力を合わせて何もない荒れ野で生活することが出来たのです。ですから、十戒というのは厳しい、怖い戒めではなくて、私たち神さまに造られた人間を本当に生かす、神さまの命の言葉であったのです。
今日の聖書の一番始めにこうあります。「わたしは主、あなたの神、あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である」。私たちに十戒をお与えになられた神さまは、イスラエルの人々をエジプトの奴隷の身分から救い出された、愛と憐れみに溢れた神さまであるというのです。
奴隷というのは自由がありません。もう散々こき使われて、苦しめられ、死ぬしかない。でもそのイスラエルを神さまはお忘れになられなかったのです。人々を救い、そして約束の地に導かれるためにイスラエルの人々をエジプトから救い出され、荒れ野を一緒に歩まれることを約束されたのです。その神さまが十の戒めをお与えになられて人々の命を必ず生かし、導かれることを約束されたのです。この神さまのことを思い出しなさいと言われるのです。
私たちには、イエスさまの十字架と復活があります。神さまはイエスさまをお与えになられたほどに私たちを愛して下さったのです。そのイエスさまが十字架の死から甦られて今日も私たちと一緒に生きて下さっておられるのです。そして聖書の言葉を通して私たちにいつでも話しかけて下さっておられるのです。皆さんが辛いとき、悲しいとき、悩むときも聖書の言葉を通して語りかけ、必ず私たちを助け、支え、希望をお与えになって導いて下さるのです。誰かと喧嘩したとき、許せないと思うとき、神さまは聖書の言葉を通して、私たちにどうその人と向き合うことが出来るか、許すことが出来るか、どうすればその相手を愛することが出来るか、教えて下さいます。
ですから是非、聖書の言葉に聞いて参りましょう。日曜日に教会に集まり、神さまが聖書を通して一体何をお語りになられているか、その御声に耳を傾けて、歩んで行きたいと思います。