創世記3章1~10節
世界の始め、何もない、霊なる神様だけが存在していらっしゃった、何もない、混沌(カオス)と呼ばれる世界に神様は「光あれ」と命じられました。すると世界は闇と光とにわけられました。昼と夜とができました。神様は.混沌を大空と海とに分けられ、水の中からは陸を生まれさせられました。神様のみ思いの通りになりました。そしてすべての草、木、植物、を生えさせ、あらゆる種類の獣、虫、鳥をその上で住むようにさせ、海には魚の群れを泳がされました。そして、「海に住む魚も、他に住む獣も、生めよ、増えよ、地に満ちよ、」とおしゃいました。その通りになりました。土から泉が豊かに湧きだして、土を潤し、木々を育てました。神様は、土をとって、人の形を作り、それに命を吹き込まれました。互いに助け合い、愛し合い、支え合うように、男と女をつくられ、アダム、とイヴとそれぞれに名づけられ、エデンというところに、園を設け、そこに二人を置かれました。そして、園の中に、見て美しく、食べるによい、全ての木を生えさせ、さらに園の中央に、「命の木」と「善悪を知る木」を生えさせられました。その上で、アダムとイヴの二人に約束を求められました。「あなた方は園のどの木からも心のままにとって食べてよろしい。しかし「善悪を知る木」からは決してとって食べてはいけない。それを食べるときっと死ぬであろう。」二人は「神様とのお約束は必ず守ります。」と答えました。この園の中で、二人は神様の愛に守られて、とても幸せに過ごしていました。
ところが、ある日、二人を誘惑するものが現われたのです。それは神様に創られたもののうちで最もずるがしこい、蛇でした。二人が神様に特別に愛され、神様を疑わず、絶対信頼して安心して毎日を過ごして生きているのが、気に入らなかったのでしょう。神様から二人を引き離そうと考えたのです。
蛇は女に言います。「あの園の真ん中にある「善悪を知る木」って知っているね。神様は『あの木からは絶対、実を取って食べてはいけない、』って言ったでしょう。でもあの実はじつはとても甘くって美味しいんだよ、知ってるかな?どう?取って食べて見ない?」イヴは言います。「でも私達神様にお約束したんです。絶対に食べませんって。神様は、『園のどの木からも取って食べていい。でもあの園の中央にあるあの木からだけは、取って食べてはいけない。触れてもいけない、死んではいけないから。』と言われたのです。」すると蛇はまた言います。「そんな事は無い。決して死ぬような事は無い。あれを食べると、目が開けて、今まで知らなかったような事を知る事になる。世界の全ての者の創り主の、神様と同じになれるんだよ。神様はそれを知っていて、食べてはいけないなんて言ったんだよ。本当に美味しいんだよ。美味しいんだよ。」と神様の言葉に背くように背くように、とイヴを誘い、誘惑します。イヴの心に神様に対する疑いが忍び込み、アダムをも誘って、二人で、「善悪を知る木」からとって食べてしまいます。一口食べると、それはたしかに甘く、なんとも言えず美味しくて、その甘さに、二人は愛して下さる神様のご存在とお言葉とをすっかり忘れ去ってしまい、その木の実をむさぼり食べておりました。
その結果、二人は賢く、神様のようになれたでしょうか?いいえ、死なないようになったのでも賢くなったのでもなかったのです。神様のお言いつけに背いてしまった罪が重く二人の心にのしかかりました。夕方、涼しくなったころ、神様が園に来られました。足音を聞いて、二人は木の間に身をかくします。神様は「あなたはどこにいるのか」、アダムは答えます「私達は、裸だったので、恐れて身を隠したのです。」神様はまた尋ねます「誰が裸であると知らせたのか?食べるなと命じておいた木からとって食べたのか?」蛇に誘惑されて神様の教えに背いたアダムとイヴは、エデンの園を追われ、土を耕して暮らす者となりました。
このようにして、人間は神の御心に背き、御心から離れる罪を犯します。私達人間は、誘惑にはまことに弱い存在です。幾たびでも神様からはなれようとする、神様を忘れる罪を犯します。でも神様は必ず、「あなたはどこにいるのか?」と声をかけ、探し求めて下さいます。み言葉に背き、関係を一方的に断ち切った者に、「どこにいるのか」と語りかけてくださるのです。神様は御自身に従わなかった者達を滅ぼすのではなく、追い求め、呼び出して下さる方なのです。その呼びかけに答えることこそ、私達人間が抱える罪からそして死から救われる、唯一の道なのです。神様の呼びかけに応答する、応えることとは、私達の罪を贖うために世に遣わされた「神様の独り子イエスさまを、救い主キリストと信じる事なのです。