主イエス、復活される

今日は、イースター。私たち教会に通うものにとって、喜びの日。
では、どうして喜びの日なのでしょう。絵本をみつけたので、今日は、始めにそれを聞いてください。

今日は、皆さんに、三つの質問をしたいと思います。
一つ目です。どうしてイースターが喜びの日なのか、分かりましたか。

それは、十字架にかかって一度は死んだイエスさまが復活されたからです。もし、イエスさまが、死んだあと、黄泉に下ったままだとしたら・・・黄泉というのは、地獄といったら分かりやすいかもしれません。死んだ人たちが眠っているところ、暗い暗い地面の下にあって、死んだ人たちのたましいが閉じ込められているどろどろとしたところ。何だか行きたくないなと思ってしまいますね。イエスさまは、そんな黄泉に一度は下られたのです。その世界には、希望や喜びはありません。だって、光も言葉もないところですからね。

もし、イエスさまがそこにいたままだとしたら、どうでしょう。人間の罪を救うために、私たち一人一人の罪を赦すために、自分の命を落とされたイエスさまが、地獄に落ちたままだとしたら、希望が湧いてきませんね。では、どうしてそんなすごいことができたのか。それは、神さまの力なのです。神さまが独り子のイエスさまを黄泉から引き揚げられたのですよ。

では、第二問です。どうして、神さまは、イエスさまを甦らせたのでしょう。

イエスさまは、十字架にかかる前、ゲッセマネの園というところで、苦しみながら祈られました。「私は死にたくありません。他になんとかなる方法はないのですか。」そのあと、「父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。(神さまがそう求められ、そう命じるのなら、喜んで従います。)」イエスさまはそう言っておられるのです。ここからは、イエスさまが、本当に人間になられたことが分かります。だって、死ぬことをそれほどに怖がっているのですから。そして、それでも、神さまの御心に従い、人間の罪を救うために、自分の命を捧げることを受け入れていることも分かります。神さまは、そんな最期を遂げられたイエスさまを、何とかしたくなられたのでしょう。簡単なことではなかったと思われますが、神さまは、イエスさまを生き返らせました。その後の出来事は、さっきの絵本で聞いた通りなのですね。

では、最後の問題です。復活のイエスさまがいるって、本当なのでしょうか。

これは、難しい問題ですね。だって、イエスさまと一緒に生きたお弟子さんたちだって、イエスさまが復活されたことを始めは信じることができなかったのですから、私たちが、簡単に信じることができないのは、無理もないと思います。しかも、イエスさまは、絵本でもあったように、数日のちには、天に昇って行かれ、私たちが直接そのお姿を目にすることはできないからです。

だから、本当だ、うそだ。そのように、はっきりと割り切って、白黒つけるように、答えることは、できない問題だと思います。きっと一人一人が、答えを見つけ出していく問題なのでしょう。

私自身は、教会に通い始めたころは、信じることができませんでした。だって、死んだ人が生き返るなんで、普通は、ありえないじゃないですか。でも、教会に通い続け、神さまに祈る生活を続けているうちに、だんだんとわかってきたことがあります。それは、自分がいま生きているのは、自分の力によるのではないということです。自分を包み込んでいる大きな力のおかげで、自分の健康や家族や仕事が備えられ、毎日の生活が支えられ、命が守られているということです。その大きな力が、イエスさまの力であるということに、少しずつ気が付き始めたのです。イエスさまに守られて生かされている。だとしたら、イエスさまは、目には見えないけど、必ずいらっしゃる、天の国に生きていらっしゃる、その聖霊に守られて、わたしは、生かされている。そう思えるようになってきました。ただ、何時でも、どんな時でもそう信じているかと言われると、「はい。」と言い切れない時もあります。本当にイエスさまが守ってくださっているのかと疑いたくなる時もあるのですが、それでも、後でその時のことを振り返ってみると、やっぱりイエスさまに守られていたということにきっと気が付くのでしょうね。

イエスさまの復活の出来事。そのことを信じられるようになるには、時間がかかるのでしょう。だから、今は、たとえ信じることができなくても、教会に通い続けること。神さまのお話を聞き続けること。それが大事なことで、そのことを神さまは望んでおられると思います。

イエスさまは、復活して、生きておられます。私たち一人一人を支え、守ってくださっています。そのことを信じましょう。そして、神さま、イエスさまに感謝して、祈りながら、今年の新しい一年を歩んでいきたいですね。

最後に一言祈ります。
ご在天のイエス・キリストの父なる神さま。今朝は、イエスさまの復活について学ばせてくださってありがとうございました。わたしたちは、復活したイエスさまに守られ、生かされていることを時に忘れたり、時に疑ったりしてしまう愚かな存在です。しかし、どんな時でも、イエスさまは、私たちを赦し、守り続けてくださいます。そのことを信じることができる者にさせてください。そして、そのうれしい報せを周りの人たちにも伝えていくことができますように、勇気や知恵や行動をお与えください。この一言の祈りをイエスさまのお名前によって、御前におささげします。アーメン。