イエスさまに触れて頂くために、人々が子どもたちを連れて来ました。ところがお弟子さんたちはこの人たちを叱りつけたのです。この時、お弟子さんたちは他の大人の人たちと共にイエスさまから大切なお話を聞いていたのです。そこへ子どもたちを連れてきたら、騒いで大切なイエスさまのお話を聞き漏らしてしまうのではないかと心配したのかも知れません。
それを御覧になられていたイエスさまは「憤られた」と今日の聖書に書いてありますが、「憤られた」というのは、イエスさまがとてもお怒りになられたということです。どうしてイエスさまはそんなにお怒りになられたのでしょうか。それは、お弟子さんたちが子どもたちをイエスさまの前に連れて行ってはならないと言って、叱ったからです。だからイエスさまは、お弟子たちに、「子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない」と仰せになられたのです。そうしてイエスさまは、その子どもたちを指さして、「神の国はこのような者たちのものである」と言われたのです。
イエスさまはお弟子さんたちに「神の国」について話しておられたのです。「神の国」というのは神さまの支配、力という意味です。お弟子さんたちは神さまがいつでも共におられる。神さまがその力をもって守って下さり命を生かして下さることを信じて歩んで行きたいと願っていました。でも神さまのお姿は目には見えませんから、本当に神さまはおられるのだろうか。神さまの力、御支配の元に自分は生かされているのだろうか。歩ませられているのだろうか、心配で仕方がなかったのです。ですから、イエスさまが神の国についてお話になられること、教えて下さることを一生懸命に聞いていたのです。
そのお弟子さんたちにイエスさまは、小さな子どもたちを指さして、「神の国はこのような者たちのものである」と言われたのです。こんな小さい子どもたちに一体何が分かるのだろうか。大人である自分たちが聞いても、神の国についてよく分からないのに、どうして子どもたちが理解出来るのだろうか。お弟子さんたちは自分の力で、知恵で、努力で神の国に入ることが出来る。神さまを信じて生きることが出来ると思っていたのです。けれどもイエスさまはそうではないと言われました。
皆さん、赤ちやんを見たことがあると思います。赤ちやんはお母さんの腕の中で眠ります。まだ小さいですからはっきりとお母さんのことは分かりません。でも赤ちやんは自分がお母さんに守られて、愛されて大事にされていることを体で感じます。だからすやすやとお母さんの腕の中で眠ることが出来るのです。
私たちは実は、目には見えないけれども私たちを造られ、こうして命をお与えになり生かして下さっておられる天の父なる神さまの大きな腕の中に守られ、愛され生かされているのです。その神さまの愛を私たちは一体何によって知ることが出来るでしょうか。それはイエスさまによってです。イエスさまは神さまの独り子です。その大切な独り子であるイエスさまを、神さまは私たちにくださったのです。しかも私たちのためにイエスさまを十字架につけられた。それほどに神さまは私たちを愛し、私たちの罪をお赦しになられたのです。このイエスさまを信じて、神さまに愛され守られていることを忘れないで生きる。
私たちはすぐに神さまが一緒におられることを忘れてしまいます。でも神さまはそういう私たちにイエスさまをくださいました。イエスさまは十字架の上で死なれましたが、甦られました。そして今も私たちと一緒に生きておられるのです。そのイエスさまをいつでも見上げて、忘れないで信じる。
そこに神の国があるのです。神さまの力、支配の中に皆さんは守られ、生かされています。今日の聖書の最後に、イエスさまが子どもたちを抱き上げて、手を置いて祝福されたと書いてありましたね。イエスさまは皆さんといつでもどのようなときも一緒におられます。手を置いて祝福をお与えになることを約束しておられます。このイエスさまのお約束を信じて今週も元気に歩んで行きたいと思います。