マタイによる福音書 第26章 26節~30節(28節)
今日の聖書には、イエスさまと弟子たらが食事をしている場面が書かれています。
この食事は、「過越の食事」と言われています。昔、エジプトで奴隷生活をしていたイスラエルの人々が、神さまによってエジプトから救い出されたことを祝うお祭りのことを「過越祭」といいます。
イスラ工ルの人々にとって、エジプトでの奴隷生活は大変苦しいものでした。モーセはエジプトの王様に、奴隷からの解放を求めましたが、できませんでした。そこで神さまは、エジプトに10の災いを送ります。
最後の災いで、神さまは「死の使い」をエジプト中に送りました。「死の使い」が通った家では、その家にはじめて生まれた子どもが死んでしまうのです。大切な命がたくさん奪われ、エジプト中は大きな悲しみでいっぱいになりました。
その時、エジプトに住んでいたイスラエルの人々は、子羊の血を家の門に塗りました。すると、死の使いが、子羊の血を見て、その家を過越し、誰も死ぬことなく、助かったのです。そして、イスラ工ルの人々は、エジプトでの奴隷生活から解放されました。このことを忘れないようにと、過越祭が毎年春に行われていました。
イエスさまは、この過越祭を祝うために弟子たらとエルサレムヘ行きました。イエスさまは、エルサレムの家で過越の食事をしています。最初に子羊の肉を焼いて食べ、その後でパンを食べて、葡萄酒を飲んでいます。
イエスさまはパンを取って、賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たらに与えながら言いました。「取って食べなさい、これは私の体である。」また、杯を取って、感謝の祈りを捧げて、弟子たらに渡し、「皆、この杯から飲みなさい。これは罪が赦されるように、多くの人たらのために流されるわたしの血、契約の血である。」と言われました。
死の使いを送られて、エジプト中の、たくさんの子供の命が奪われた頃、イスラ工ルの人々はとても怖い思いをしていました。自分の家の大切な子どもが死んでしまったらどうしよう。本当に大切な、たったひとつの命です。
この命が守られるようにと、イスラエルの人々は子羊の血を家の門に塗りました。そうすると、死の使いが過越し、子どもの命は守られました。当時の人々は、大切な子どもの命を守るため、子羊の命をささげていたのです。
イエスさまは、自分自身がこの子羊であると言われます。
大切な命を守るために、イエスさまご自身の命を捧げて<ださったのです。わたしたらのために十字架の上で血を流し、痛み、悲しみ、命を捧げてくださいました。
イエスさまの命と引き換えに、わたしたらの罪が赦され、わたしたらは死の恐怖から解放されました。わたしたらは、もう死の恐怖に囚われて生きる必要はないのです。
このことを忘れないようにと、大人の礼拝では、毎月聖餐式が守られています。
聖餐式のたびにわたしたらは、この過越の食事を思い出します。
わたしたらは、これまでと同じように、不安や心配事におびえて生きる必要はありません。この命は、イエスさまの命と引き換えに与えられた、新しい命です。新しくされたわたしたらは、いつもイエスさまと一緒に生きています。わたしたらに与えられているのは、イエスさまと一緒に生きる喜びと感謝です。なんの心配もありません。
わたしたちはこの過越の食事の意味を受け取り、毎週、毎月新しくされて、大切な人生を歩んでいきたいと思います。
お祈りします。
<祈り>
天の父なる神さま。3月の朝、教会学校に集められ、聖書のお話をきく時を与えて<ださり、ありがとうございます。イエスさまは、わたしたらのために命を捧げてくださいました。わたしたらが、死の恐怖から解放され、新しく生きるためです。わたしたらの新しい人生の道を、これからもいつも一緒にいて導いてください。この祈りをイエスさまのお名前を通して、おささげいたします。アーメン。