「信仰」とは、何でしょう。
ヘブライ人への手紙11章1~3節には、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」と記され。コリントの信徒への手紙Ⅱには、「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」と書かれています。
では、正しい信仰とは、どういう信仰のことを言うのでしょう。信じるというのは、主語は「私が」ということで、「何を信じるか」というと、「神さま」を信じること。そして、神さまとは、「聖書に記されている神さま」のことです。だから、正しい信仰というのは、聖書に基づいて聖書に記されている神さまを信じることと言えます。神さまというのは「天地の造り主、全能の父なる神」のことであって、山や岩や大木や八百万の神のことではありません。だから、地上にある造られたものは、神ではなく、聖書に記された神さまが本当の神さまなのです。
そして、私たちは 聖書の真実によって 父なる神さまの独り子神の子イエス・キリストを信じます。父なる神さまから遣わされた救い主、御子イエス・キリストを信じます。あのクリスマスの出来事も聖書に基づいており、ヨハネによる福音書には、「神はその独り子を世にお与えになったほどに世を愛された」「独り子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである」と記されています。
では、私たちの信仰とはどうあるべきでしょう。イエスさまの弟子達はイエスさまと一緒こ伝道をしました。そして主イエスの十字架の贖いの死と復活に直接関わりました。その体験を通して「イエスさまは神の子救い主である」という信仰を告白しました。これは、「キリストが私の救い主」。そして「あなたこそキリストです」「あなたこそ私の救い主です」と言う信仰の告白です 一方、私たちは聖書を通して主イエス・キリストが私たちの罪を背負って十字架に犠牲となり、そして復活されたということを知っています。そのキリストに私が出会うということ。私たちの信仰は、「救い主イエス・キリストを信じる。信じて救われる。」ということになります。
また、私たちは、聖霊を信じます。なぜなら、聖霊によらなければ誰もイエスは主であると言えないからです。わたしたちは、聖霊によって、福音を信じることが出来ます。信仰を告白することもできるのです。ヨハネによる福音書に、「真理の霊が来るとあなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」と書いてあります。つまり、聖霊が 救い主のことを、神さまのことを解らせてくれるのです。
それから大切なことがもう一つあります。自分一人だけの信仰では、正しい信仰の告白はできません。キリストの体なる教会の枝枝である「私たち」が正しい信仰を告白することができるのです。信仰は、自分の確信でなく、教会が受け継いでいる信仰を自分も受け容れ、そして告白することです。教会の「信仰告白」は、主語が「私」でなく「私たち」となっており、これが聖書の真理を信じる信仰の形であります。