罪人の最たる者

CS礼拝説教 テモテへの手紙Il章12~17節
 今朝、皆さんと一緒に読みました聖書はパウロという人が書いた手紙です。パウロさんはイエスさまと出会ってイエスさまのことを宣べ伝える伝道者となってローマという遠い遠い外国にまで出かけて行った人です。今のように飛行機や列車はありませんでしたから何日も船に乗ってそして後は歩いてローマに行ったのです。ですからパウロさんは強い人でした。それは体力があった、体が強かったということではありません。実はパウロさんは病気を抱えていたのです。その病気で何度も苦しんだり痛んだりしました。でもパウロさんは病気に負けないでイエスさまのことを一人でも多くの人に知ってもらいたいと思ってて世界中に出かけて行きました。そのようにパウロさんを強くしたもの、それはイエスさまでした。
 実ほパウロさんは最初、イエスさまのことを信じていませんでした。イエスさまの敵でした。パウロさんは自分がどういう人間であったかこう振り返っています。「以前、わたしは神を冒涜する者、迫害する者、暴力を振るう者でした」。神さまが御自分のことを知ってもらいたいと思って独り子であったイエスさまを私たちの所にお送り下さいました。でもパウロさんはイエスさまを絶対に認めなかったのです。そしてイエスさまを信じる人たちを虐めて徹底的に迫害しました。神さまに反抗し、敵対し、背いていたのです。
 そのパウロさんを神さまはどうしたでしょう。お前は駄目な奴だと言って裁いたでしょうか。普通なら絶対に赦さないでしょう。神さまに敵対して、神さまがお送り下さったイエスさまを受け入れないで、イエスさまを信じる人たちを虐めて、散々苦しめたのですから、赦されないですね。でも神さまは反抗して背いて罪を犯すパウロさんを赦すと言われたのです。そしてパウロさんの身代わりに、罪無きイエスさまをあの十字架にかけてパウロさんを赦されたのです。パウロさんはイエスさまが自分のために身代わりとなってあの十字架にかかって死んで下さったことを知らないまま過ごしていました。でも神さまは忍耐してパウロさんがイエスさまのことを信じ受け入れるその時をずっと待ち続けておられたのです。
 あるとき、パウロさんがイエスさまを信じる人々を迫害するために歩いておりましたら、急に突然天から光が差して、声がしたんです。サウル、サウル、何故私を迫害するのか。そしたらパウロさんは地面に倒れてしまいました。それでパウロさんはあなたはどなたですかと尋ねると、私はあなたが迫害するイエスであると声が聞こえました。そしてパウロさんは目が全く見えなくなりました。パウロさんは全く力を失ってしまいました。でも初めて気がついたのです。自分が神さまに反抗して、イエスきまの敵となって、イエスさまを信じる人々を虐めて迫害していたことは間違いであった。自分は神さまに大きな罪を犯していた。でもその罪を神さまは赦して下さるために罪のないイエスさまをお送り下さって、この私の身代わりにあの十字架にかけられた。自分はイエスさまの十字架によって本当に赦されて救われていたのだ。そのことにパウロさんは気がついたのですね。そうしてしばらく目が見えなかったパウロさんでしたが、アナニアというイエスさまを信じる人に手を置いて貰うと目から魚のうろこのようなものが落ちて、再び目が見えるようになったのです。パウロさんはイエスさまの十字架の意味を知って、自分のような罪深い者がイエスさまによって赦されて救われたことを信じることが出来たのです。
 そうしてパウロさんはイエスさまから力を与えられて元気になって、強くされたのです。ローマにまで出かけて行ってイエスさまのことを宣べ伝えるそういう人に変えられました。大きな病気を抱えていたパウロさんです。イエスさまを信じるようになってからは逆に迫害を受けたり虐められたりすることもありました。船が難破して何度も海の上を漂流しました。飢え乾きを体験しました。最後はローマで殉教したと言われています。苦労の連続、沢山の苦しみや悲しみ、痛みを経験しました。でもパウロさんは負けなかったのです。それは、イエスさまに自分は本当に赦されている。愛され受け入れられ、神さまが共におられることを信じていたからです。パウロさんは言いました。もはや私が生きているのではない。イエス・キリストが自分の中に生きておられ、弱い自分を助けて下さっている。だから自分は強いのだと言うのです。
 パウロさんは自分がイエスさまによって強くされたのは多くの人々のお手本になることだと言いました。地面に倒れ、目が見えなくなってしまったパウロさんをイエズさまが起き上がらせました。そして力を与えてイエスさまを宣べ伝える者に変えて下さいました。それはパウロさんだけではなくて、あなたも同じようにイエスさまによって強くされることを伝えるためでありました。もう一度12節を読んでみましょう。「わたしを強くしてくださった、わたしたちの主キリスト・イエスに感謝しています」とありました。パウロさんは、自分が強くされたように、イエスさまは私たちのことも強くして下さる、元気を与え、勇気を与えて下さると教えているのです。
 色々なことが私たちの生活に起こって参ります。でもこうして日曜日に教会の礼拝にイエスさまは私たちを招いて下さり、強くして下さる。私があなたと共にいる、そしてあなたを励まし慰め力を与えると約束しておられるのです。私たちもイエスさまの十字架によって赦されて、そういう力を与えられているのです。今日から始まる一週間も、イエスさまの十字架を信じて、イエスさまに力を与えられ、強められて歩んでいきたいと思います。