「土の器」
<聖書:コリントの信徒への手紙Ⅱ第4章 7節~15節>
ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものではないことが明らかになるために。わたしたらは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。こうして、わたしたらの内には死が働き、あなたがたの内には命が働いていることになります。「わたしは信じた。それで、わたしは語った」と書いてあるとおり、それと同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じ、それだからこそ語ってもいます。主イエスを復活させた神が、イエスと共にわたしたらをも復活させ、あなたがたと一緒に御前に立たせてくださると、わたしたちは知っています。すべてこれらのことは、あなたがたのためであり、多くの人々が豊かに恵みを受け、感議の念に満ちて神に栄光を帰すようになるためです。
<話>
今日の聖書のはじめに、「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。」と書かれています。土の器とは、土をこねて焼いて作った入れ物のことです。落とせばすぐに割れてしまうもろいものです。この手紙を書いたパウロは、わたしたちは土の器である、と言っています。一見何も入っていないように見えますが、この器の中には、目には見えない宝物が入っています。この宝物とは何でしょうか。
今日の聖書のひとつ前の6節を読んでみます。「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。
この宝物は、わたしたらの心の内に輝く神の栄光を悟る光のことです。
栄光ということばには、もともと「重い」という意味があります。そして、悟るとは、隠されているものに気付くという意味があります。この宝は、人間には隠された、重く深い神さまの恵みに気付く光です。わたしたち人間は、このような宝を納めている土の器である、と聖書は語っています。この宝によって、わたしたちが今まで知らなかった、神さまの重く深い恵みに気が付くことができるのです。
わたしたちはどのようにして、この隠された神さまの恵みに気がつくことができるのでしょうか。
聖書には、この宝を納めたわたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打倒されても滅ぼされない、と書いてあります。
この宝はわたしたちが、あらゆるところで苦しめられたとき、行き詰まらないように道を開きます。途方に暮れて困った時、そこから希望を見出すきっかけを与えてくれます。虐げられ、見捨てられたように感じても、必ず寄り添う仲間が与えられます。打ち倒されて、起き上がれなくなっても、再び立ち上がる力を与えてくれます。この宝は、わたしたちが行き詰まり、失望し、見捨てられ、滅ぼされそうな時に働き、そこに示される、神さまの深く大きな恵みに気づかせてくれます。このような宝がわたしたちの内にあるのです。
コリントの信徒への手紙を書いたパウロは、あらゆるところで苦しめられたり、途方に暮れたり、虐げられたり、打ち倒されたりすることが、とても多い人でした。けれどもパウロは、パウロの内に働くこの宝を知っていました。パウロは伝えたかったのです。この宝は、パウロにだけ与えられているのではなく、わたしたちにもあなたたちにも、パウロと同じ宝が与えられているのだと。この宝に気付いてほしいと、パウロはどうしても伝えたかったのです。
いつの日か、わたしたらがこの世の旅路を終えるとき、土の器は士に帰ります。けれどもこの宝は消えてなくなることはありません。この宝は、この世に残ります。そして、あらゆるところで苦しめられている人に道を開き、途方に暮れている人に希望を与え、虐げられている人に寄り添い、打倒されている人を助けます。こうして、今を生きる人への、受け継がれていくのです。
わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。わたしたちは、あらゆるところで苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打倒されても滅びません。この宝は神さまが、わたしたちのために特別に与えてくださいました。この宝によって、今まで隠されていた神さまの重く深い恵みが、わたしたちの人生を通して、少しずつ少しずつ明らかにされていくのです。わたしたちは、ここに与えうれた人生を、この宝といっしょに歩んでいきたいと思います。
お祈りします。
天の父なる神さま。今朝、教会に集められ、共に聖書のみ言葉をきく時を与えてくださり、ありがとうございます。わたしたらの心の内には、神さまの栄光を悟る光が納められています。この光によって、わたしたち一人ひとりが、神さまの恵みに気がついていくことができますようこれからも導いてください。この祈りをイエスさまのお名前を通して、おささげいたします。アーメン。