聖なる公同の教会、聖徒の交わり

マタイによる福音書十六章十三―二十節 
ある日イエスさまとお弟子さん達、ペトロさん、アンデレさん、ヨハネさん、フィリポさん、そのほか何人かが集まって、楽しくお話合いをしていました。日頃イエスさまと一緒に大勢の群衆に囲まれたり、イエスさまのお手伝いをしたり、忙しく過ごすことの多い毎日の中で、ちょっとホッとする時間だったのでしょうか、草原にイエスさまを真ん中にしてくつろいで座り、ランチでもしているのか、そんな風景が私には目に浮かびます。そんな時にイエスさまが、お弟子さんたちにお聞きになりました。「人々は、私の事を誰だと言っていますか?」お弟子さん達はお互いに顔を見合わせて、耳にしていた事、世の中の人々が、イエスさまのことを、どう言っているか、思い出しながら、それぞれにお返事いたしました。「はい、バプテスマのヨハネさんの生まれ変わりだ、と言っている人がいました。」「いや私が聞いたのは、イエスさまは、昔の偉大な預言者のエリヤさんの生まれ変わりなんだ―って言っているのを聞きました。」また別のお弟子さんは、「いやいや預言者のエレミヤが帰って来たのだと言っている人もいましたよ。」などと口々に、人々の話しているのを聞いた事をお返事しました。お弟子さん達も、イエスさまの事、誰もが本当はどうなのかあまりよくは、分かっていなかったのかもしれません。
するとイエスさまはこう言われました「なるほど人々はそう言っているのか。それでは聞くが、あなたは私を何者だと思っているのですか?」みんな、何とお答えしていいのか迷っていました。世の中の人達は、色々に言ってるけれど、「あなた自身はどう思っているの?」と聞かれると、さあどう答えていいのか、私はどう思っているのか、言い表すことが難しかったのです。神様の事を、例え話をしてよく教えて下さるし、奇跡は起こされるし、聖書の言葉の本当の意味を解き明かし、教えて下さる。人々に優しく、私達にも愛深く接して下さる。真実素晴らしい方だと思って、従って来てはいるのだけれど、何者だと思っているのかと急に聞かれると、なんと表現してよいのか分かりません。その時ペトロの目とイエスさまの目が丁度ぴったり合ったのです。イエスさまは優しい目で、しっかりとペトロの目を覗き込まれました。ペトロもその瞬間までは、ほぼ皆と同じでしたが、その時何か心に響いたものがありました。ペトロはしっかりとイエスさまの目を見返してお答えしました。「あなたはメシア、生ける神の子です。」―イエスさまは神様から遣わされた、この世の救い主、人の形を取って降られた神様の独り子です―、という意味です。ペトロはその時はっきりとそのように確信できたのです。ペトロにこう言わせたのは、これは聖霊なる神様のお働きでした。イエスさまは偉大な昔の預言者としてもう一度現われた人などではない、バプテスマのヨハネの生まれ変りでもない、神の御一人子のイエスさまこそがここにいらっしゃるのだと、ペトロはその瞬間に神様によって覚らされ、その信仰の言葉が口をついて出たのでした。
そうです。イエスさまは神様の御一人子、神様が愛しておられる全ての人間を、残らず神様に導くために、この地上に来て下さった、そういう方なのですね。ペトロさんはこの時、それがはっきりと分かったのです。
このお返事をイエスさまはとてもお喜びになりました。そうしておっしゃいました。「翌言った、ペトロよ。私はこの岩の上に教会を建てる」
何という事でしょう。ペトロさんの上に教会を建てる、とおっしゃるのでしょうか。ペトロというのは「岩」という意味があるのです。これは大変、ペトロさんの上に教会を建てたら、ペトロさんは教会の下敷きになって死んでしまうではないですか。いいえ、まさか、優しいイエスさまが、愛する弟子ペトロさんにそんな事をなさるはずはありません。イエスさまは、ペトロさんの言った言葉、「イエスさまはメシア―この世界の救い主―、神様の御子です」と正しく答えたその言葉の事をおっしゃったのですね。
教会とは「イエス・キリストは、救い主、神の御子」と信じて、はっきり告白する、つまり本当にそのように信じ、言葉に表すことの出来る人達の集まりです。今日、教会学校に集まって来た皆さんも、礼拝に集まる大人たちも、この言葉をよく理解して受け入れるなら、それぞれが皆、教会です。建物が教会なのではありません。教会の建物は、そのような人達が集まって、神様の前に一緒にそのように言い表す時、初めて本当の教会になるのです。この時にイエスさまがペトロにおっしゃった、「この岩の上に教会を建てる」、というのは、こういう意味だったのですね。教会では、礼拝のはじめに、使徒信条といって、神様の前に私は信じます、といういくつかの事を神様に向かって告白―言い表すということ―をします。その中でもとても大切な一節が「聖なる公同の教会、聖徒の交わり」を信じます、という事です。これが今日お話しした、ペトロさんがイエスさまに告白したことと、全く同じ事なのです。