8月3日

キリストは、わたしたちの平和」
 寺島謙牧師
 エフェソの信徒への手紙 2章14~22節 

平和聖日礼拝にあたり、改めて「平和」について考えてみたい。平和はいつの時代においても求められてきたが、中々実現には至らない。それは人間同士の間には「敵意という隔ての壁」が存在するからである。実際にエフェソの教会にも「異邦人」と呼ばれる信徒とユダヤ人信徒との間に深い対立が生じていた。そして互いに敵意を抱いていた。だがパウロは、「実に、キリストはわたしたちの平和であります」と宣言する。さらに「ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し‥・双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました」と告げた。単なる仲直り話しではない。キリストの十字架によって敵意という隔てが取り除かれ、両者が一つの体を持つ新しい人間に造り変えられ、神との和解へと導かれた。そこに平和が実現したというのである。敵意の根っこには人間の罪がある。異邦人もユダヤ人も皆、神の前に罪人である。その罪が赦され、神との間に平和が与えられなければ、人と人との間にも平和は実現することはない。