「マリア イエスさまの母」
ルカによる福音書1章26~38節

今日から、アドヴェントに入りました。日本では、待降節と呼びますが、アドヴェントという言葉は、ラテン語のアドヴェントゥスという「到来」という意味の言葉からきているそうです。主である神さまが到来されるのです。罪と死の闇の中にある者たちを探し出し、救われるために神さまの方から来てくださるのです。クリスマスは、神さまがイエス・キリストとして来てくださった出来事で、今日お話をさせていただく受胎告知はその始まりの出来事であるという風に教案誌には書かれてありました。

この日、神さまはマリアさんのもとに突然来てくださいました。マリアさんが来てくださいとお願いしたのではなく、神さまが、まさに突然、天使ガブリエルを遣わすという形で、マリアさんをお訪ねになられたのです。その時の様子を後世の画家が絵に表しています。

この作品は、フラ・アンジェリコというイタリアの作家が描いた受胎告知の場面です。エルグレコさんやレオナルドダヴィンチの描いた作品は、ガブリエルは男性ぽく描かれていますが、このフラアンジェリコの作品では、女の人のようにしか私には見えません。作品全体が明るく穏やかで安心感が感じられます。作家のフラアンジェリコについて調べてみると、ウィリアム・マイケル・ロセッティという著作家による次のような評論がありましたので、紹介します。

フラ・アンジェリコに対するさまざまな評価から、彼が福者と呼ばれた理由を知ることができるかも知れない。ドミニコ会修道士として信心深く禁欲的な生活を送り、神に仕える身分から逸脱することは決してなかった。貧者を救済するという修道会の教えを守り、つねに愛想よくふるまう人物だった。彼が描いた多くの絵画はすべて聖なるものを扱った作品で、完成した作品に後から手を加えたり、修正したりすることは決してなかった。これはおそらく彼自身の宗教的信念によるもので、聖なる存在から霊感を受けて描いた絵画であるため、完成当時そのままの状態に留め置かれたのだろう。キリストの絵画を描く者は常にキリストとともにあらねばならないというのが彼の口癖だった。絵筆をとるときには常に祈りの言葉を捧げ、キリスト磔刑画を描いているときには涙を流していたに違いない。

そういった画家さんによって描かれた受胎告知の場面についてお話してみます。ある日、天使ガブリエルはマリアのもとに突然現れました。昼のことなのか夜のことなのか、場所はマリアの家の中だったのか、別の場所であったのか、中庭のようにも見えますが、詳しい記述は聖書にはありません。ただ、マリアにとっては、突然の来客であったに違いありません。マリアさんは、小さなナザレという町に暮らしていたごく普通の少女で、特別な勉強をしていたとか何かが得意であったとかいうわけではなさそうです。ただ、もうすぐ大工のヨセフさんという人と結婚することになっていて、その準備をしながら生活していたことでしょう。そこに天使ガブリエルさんが招いたわけでもないのに、まさに突然に現れたのです。

「おめでとう。恵まれた方。主があなたと共におられる。」
この言葉を突然に掛けられたら、喜んでいいのかどうか、きっとわからなかったことでしょう。マリアさんは、「わたしは、今さらそんなことを言われなくても、いつも神さまがわたしのそばにいてくださると信じていますよ。」と反論の気持ちすら起こったかもしれません。でも、今、この時に、どうして突然そんな言葉が掛けられるのだろう。マリアさんには、何かありそうだという不安な気持ちが沸き起こったに違いありません。そして、その後の言葉は、もっと驚くものでした。天使ガブリエルは、明るく優しい表情で、次のように話されました。

「あなたは身ごもって男の子を産みます。その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。」分かり易く言うと、「世界の人を救うために、イエスさまがお生まれになるのです。そしてマリアさん、あなたが、そのお母さんになるのですよ。」ということなのです。マリアさんは、もちろんびっくり仰天したことでしょう。マリアさんに代わって代弁すると、
「どうして、そんな大切な役目をわたしが負うことになるのですか。わたしには、そんな能力も才能もありません。それに、わたしは、ヨセフさんと結婚することになっています。別の方の子どもをお腹に宿っているなんてことが知れたら、ヨセフさんは許してくれないでしょう。私の両親だって許してくれるはずがありません。わたしは家から追い出されて、村からも追放されて、死ぬしか道は残されていないでしょう。」
マリアさんは声には出していませんが、心の中で大きな不安の波が渦巻き、座っていることができないくらいの恐怖に支配されていたと思われます。しかし、さらに驚くことがこの後、起こります。マリアさんは、
「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」とガブリエルの言葉を受け入れたのです。

どうしてマリアさんが、いきなり自分に降りかかった神さまからの召命を、受け入れることができたのか。その理由を自分なりに考えてみました。天使ガブリエルは、マリアさんが自分の運命を受け入れる前にこんな言葉を掛けています。
「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包むのです。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれるようになります。神さまにできないことは何一つないのですよ。」
マリアさんが、この言葉を掛けられてから、「お言葉どおり、この身になりますように。」と受け入れるまでにどれほどの時間が経過したのかはわかりませんが、おそらく長い時間はかからなかったように思います。わたしだったら、一週間考える時間を与えてくださいとお願いするかもしれません。そして、あれこれ言い訳を考えつくした上で、「やはり自分には無理です。他の人にあたってください。」というような返答をしてしまうのではないかと思います。
しかし、マリアさんは、違っていました。マリアさんは、この時、自分を捨てたのでしょう。自分を形作っているヨセフさん、家族、村、境遇、すべてを捨てて、神さまの言葉に従う決心を直感的にされたのではないかと思います。そして、それができたのは、「神さまにすべてをお委ねします。神さまが必ず、私を守り、支えてくださるに違いありません。」という強い信仰があったからに違いありません。

このフラアンジェリコの作品の中のマリアを見ると、ちょっと不安そうでか弱い少女にしか見えませんが、彼女が育んできた信仰がどれだけ大きな力と勇気をこの時のマリアに与えたのかということを考えると、神さまにできないことは何一つありませんというガブリエルの言葉が真実味を帯びてくるように思います。マリアさんは、この後も世間の厳しい目にさらされたり、心無い言葉を掛けられたりすることもあったはずです。しかし、神さまはそんなマリアさんと共にいてくださり、神の子イエスの誕生という奇蹟的な出来事をマリアさんは成し遂げられました。そして成人するまで育て上げられたのです。田舎の村に住む普通の少女に大きな使命を与えられ、いつも彼女の側にいて、支え続けられた神さまの力に、改めて驚かされる思いがしました。

最後に祈ります。今日からアドヴェント。神さまが人となられて、私たち人間の罪を赦すために、天から降って来られたクリスマスの出来事を覚え、教会員一同でお迎えするために心を整えていく最初の日です。今日学んだマリアさんの信仰を倣って、信仰によって強い心をもって、神さまに喜んでもらえる生活を送っていくことができますように、私たち一人一人をお支えください。イエスさまのお名前を通してお祈りします。