「隣人となって生きる」
金附正夫牧師
使徒言行録 3章1~10節
「オネシモは特にわたしにとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです」(フィレモンへの手紙16節)。オネシモは問題を起こして、監禁中のパウロの下へやって来た奴隷でしたが、キリストを信じる者となったのでした。パウロは監禁中の身であり、年も年ということもあり、かつてのオネシモの主人フィレモンの下に彼を送り返そうとしたのです。当時、奴隷制度は厳しく定められており、奴隷の殺生与奪は主人次第でした。パウロは、そのような身分制度が確立している社会にあって、奴隷であるネオシモを信仰によって受け入れるようにと要請しているのです。パウロは、何よりもオネシモを奴隷としてでなく、人間として、奴隷以上に愛する兄弟として受け入れてくれるように願うのです。これは、オネシモへの彼の同情の念からでなく、信仰にある者の人間観によるものです。世の中の人間を見る目でオネシモを見てくれるなと言っているのです。このパウロの人間を見る目は、今日の教会にも必要です。現代は能力差別社会です。この社会の中で、人間として、愛する兄弟として、だれもが「いる」ことができる場は教会だけです。
(「365日の聖書」賀来周一氏著より引用)
