説教(2021年4月月報より)

 今朝は、主イエス・キリストが復活された朝を覚えて,喜びと感謝を以て礼拝を捧げたく思います。主ほ,ティベリアス湖(ガリラヤ湖)畔に,御自身を弟子達の前に現わされました。復活後,すでに3度目です。弟子達への深い思いが込められています。これに先立ち,弟子達は,2度までも復活の主に会っているのです。それなのに彼らは,本当にほ,主の復活を信じ得なかったようです。2度とも彼らは主イエスを殺したユダヤ人達を恐れて,一つの家に鍵をかけて隠れていました。この家の中に.主が現われ給いました。弟子の一人,トマスの懐疑の言葉が出てくるのは,この時です。1回目の主の顕現の場には居らず,これを仲間から聞いた時には、彼は信じようとしませんでしたが,2度目に現われ給うた時,主は彼に,十字架上で刺されて開いたわき腹の傷を示され,「信じない者ではなく,信じる者となりなさい。」と言われました。また,「見ないのに信じる人は,幸いである。」とも言われました。この弟子達の信仰の弱さは,我々の弱さでもあります。聖書が語る主の御心を読み取らねばなりません。
 ルターは,「日常の中で確かに倍じることが大切だ。Jと語りました。本日の聖書箇所は,これに関連しています。ペトロら7人が漁に出かけたのは,彼らが日常生活に戻ったことを示しています。ところが,プロの漁師も居ながら,一匹の魚も捕れなかった。恐らく,彼らの自負は傷っき,空しさに包まれた時だったでしょう。我々も,大切なものを失ったり,病いに罹った時には,同様の空しさを覚えるのです。この時に,主は現われ給いました。しかし,弟子達は最初は,気付かなかったのです。ある説教者は,人間の不信仰を,「甦りの主に会いながら,なお人生の暗闇にのまれている。」と語りました。我々,信仰者と自認する者は,より厳しく,この事を問われているのです。信じきれないから,恐れや暗闇が襲ってくるのです。主の甦りは,厳然たる事実です。
 主は岸辺に立ち続けられ,自ら語りかけられました。「右側に網を打て」と。奇跡が起きました。夥しい量の魚が捕れました。主イエスだと分かりました。もう誰も「あなたは?Jとは問いません。これを知ったベトロは,自分が裸同然だったのに気付き,自身を隠そうとして上着をまとって湖に飛び込みました。罪人の自分に耐えられなくなったのです。
 復活の主イエス・キリストは,今日も私共と共に居られ,一緒に歩いて下さるのです。悲しみや苦しみから,もうダメだ,と私共がうなだれて立ち上がれなくなった時にも,神は共におられて必ず助けて下さる(インマヌエル)。この神の御臨在を,明らかに示していただくのが,復活節のメッセージです。     (磯村滋宏)