「ダビデとゴリアト」
サムエル記 17章41~50節
今日は、ダビデとゴリアトの話をしたいと思います。
ダビデさんのことは教会学校の礼拝でも聞いたことがあると思います。
イスラエルと呼ばれる神さまがお選びになった民の王となった人です。そのダビデがまだ幼い少年時代のお話です。その頃、イスラエルは、ペリシテという民族と戦いを繰り返していました。大変強力な軍隊を持った強敵でしたが、イスラエルも奮闘して両者譲らずに呪み合いが続いていました。するとあるとき、ペリシテの陣地から独りの戦士が進み出てきました。それがゴリアトです。ゴリアトはもの凄く背丈が高く大きかったのです。身長は6アンマあったと言われていますが、これは大体、3メートルはどです。その上体も大きかったので五千シュケルの重さの鎧を着ていたそうです。これは57キロもある鎧ですから、ゴリアトがどれだけ大きく、力持ちであったかが分かります。私はプロレスが好きですが、昔、アンドレ・ザ・ジャイアントというフランス人のレスラーがおりましたが、この人は身長が2メーター23センチ、体重が236キロでしたから、ゴリアトの方が大きかったことが分かります。とにかくゴリアトは巨人でした。そして歴戦の勇者でした。
そのゴリアトがイスラエルに、一対一の決闘を申し込んできたのです。それでイスラエルの全軍はとても恐れたのです。ゴリアトに勝てそうな兵士も軍人もいなかったからです。聖書にもこう書いてありました。「サウル(イスラエルの王)とイスラエルの全軍は、このペリシテ人(ゴリアト)の言葉を聞いて恐れおののいた」(17:11)。
そういう所に、少年ダビデがやって来ました。ダビデは普段羊の世話をしていたのですが、お父さんのエッサイから、ペリシテ軍と戦っていた3人のお兄さんに食べ物を持って行くように命じられたのです。それで少年ダビデは併せてお兄さんたちの安否を確かめるために戦場に出かけて行ったのです。
未だ、ゴリアトと対決出来る者が見つかっていませんでした。皆、巨人のゴリアトに恐れおののいておりました。ゴリアトに勝利しなければ、イスラエルはペリシテの奴隷になる他ありません。絶体絶命の危機でした。すると少年ダビデが、自分があのゴリアトに挑んで、ゴリアトを撃ち殺してみましょうと、サウルというイスラエルの王様に申し出たのです。ダビデは少年です。しかもゴリアトと比べると背丈も体も小さく、非力です。でもダビデには確信があったのです。それは神さまです。自分はまだ少年で体も背丈も小さいし力は弱い。でも神さまが必ず一緒におられ、必要な力を与え、助けて下さると信じていたのです。ダビデはこう言いました。
「獅子の手、熊の手からわたしを守ってくださった主は、あのペリシテ人の手からも、わたしを守ってくださるにちがいありません」(17:31)。そして、右投げを手にした少年ダビデは見事、石をゴリアトの額に命中させて対決に勝利しました。
この少年ダビデと巨人ゴリアトの聖書の物語は何を私達に伝えているのでしょうか。それはやはり神さまです。神さまが少年ダビデと共におられたのです。そしてダビデも神さまを最後まで信じて、委ねて戦いに臨みました。その神さまが本当に生きて働いて下さったので、ダビデは巨人のゴリアトに勝利できたのです。私たちも、ゴリアトのような大きな大きな問題や課題、試練や苦難に出会うことがあります。人間の力ではどうにも立ち向かうことが出来ない、自分の無力さ、非力さを強く思わされることがあるのです。病気もそうです。風やお腹が痛くなるようなすぐに収まる病気もありますが、どうしても治らない、大きな病気に私たちは生きているとかかることがあります。小さなダビデの前に巨人のゴリアトが立ちはだかるような気持ちに私たちもなることがあるのです。そういう時、自分の力で何とかしようとしても、あのイスラエル軍のように恐れ惑い、不安しかありません。でも少年ダビデは違いました。ダビデは、自分が非力で、小さく無力であることは知っていましたし、ゴリアトに自分の力で挑んでも勝てないことは分かっていました。でもダビデは、神さまが一緒に歩んで下さっておられる。天地を造られ、この私に命をお与えになり、「生きなさい」と呼んで下さっておられるただお一人の神さまが必ず、助けて下さる、力をお与えになり、目の前の大きな問題、困難を必ず乗り越えさせて下さることを信じて、自分に出来ることに取り組んだのです。そこに大きな勝利が生まれたと聖書ほ私たちにも教えているのです。
ダビデと共におられた私たちの父である神さまは、皆さんと必ず一緒におられます。苦しみの時も悲しみの時も、病の時も大きな重荷を負って歩んでいかなければならない時も、神さまは皆さんと共におられます。その神さまを信じて、今日からの1週間を希望を抱いて歩んでいきたいと思います。