「エリヤ サレブタのやもめ」
列王記17章1~24.節
司会者に読んでいただいた聖書のお話には、三つの奇蹟が出てきました。一つ目が、神さまはカラスを用いて、エリヤの命を守ったということです。アハブ王から怒りをかって命を狙われ、神さまの言われたとおりにケリト川のほとりに身を隠したエリヤでしたが、食べるものが何もありません。大ピンチのエリヤを助けたのが、何とカラスだったということに、まず、驚かされました。今は人間の出したごみをあさり、町を汚す代名詞みたいに言われているカラスが、預言者エリヤの食べ物を毎日朝夕と運び続けて、エリヤの命を支えていたというのです。人間とカラスの不思議な縁に驚かされます。
二つ目の奇蹟は、ケリト川の水も枯れて飲み水がなくなってしまい、再び命の危機に陥ったエリヤを救ったのは、今度は、やもめであったということです。やもめとは夫を亡くした女性のことで、このお話に出てくるやもめは息子と暮らしていますが、今日の食べ物を食べてしまったら、明日の食べ物はない。死ぬのを待つしかないという限界状況で暮らしている親子でした。そのやもめが養ってくれると神さまは、エリヤにいうのです。そのやもめは、神さまの言葉に従い、エリヤに食べ物を用意しました。死を覚悟しての行為だったかもしれません。なくなるはずの小麦粉と油が神さまの言われた通りになくならず、エリヤだけではなく、やもめも息子も命を繫ぐことができたのです。神さまは、その日を生きることに精一杯だったやもめの親子に、エリヤの命を守るという大切な役目をお与えになりました。そして、不思議な力で守り続け、その役目を果たし続けられたのです。
最後の奇蹟は、そのようにエリヤの命を守り続けてきた親子に突然起こります。息子が病気になり、病状がどんどん悪化して死んでしまったのです。「あなたは、私に罪を思い起こさせ、息子を死なせるために来られたのですか。」とエリヤはやもめから言われてしまいます。嘆き悲しむやもめにエリヤは言いました。「あなたの息子をわたしによこしなさい。」
エリヤはその息子を受け取って、二階の自分の部屋の寝台に寝かせました。そして神さまに祈りました。エリヤはこの息子の上に、三度自分の身を重ねてから、再び「主よ。この息子の命をもとに返してください」と祈りました。神さまはエリヤの祈りの声に耳を傾け、その子の命をもとにお返しになりました。その子は生き返ったのです。
エリヤは子どもを連れて二階の部屋から降りて、その息子をやもめの手に渡して、言いました。「見なさい。あなたの息子は生きている。」やもめはエリヤに言いました。「今わたしは分かりました。あなたはまことに神の人です。あなたの口から出る主のお言葉は真実です。」
エリヤの必死の祈りが、神さまを動かしたのです。この時のエリヤの祈りがどれほど本心から出てきた本物の祈りであったのかということがよく分かります。イスラエルという言葉には、神と格闘するという意味があるそうです。ヤコブにも、神と格闘した話があり、そのためにイスラエルと呼ばれるようになったということでした。祈りというのは、神さまと格闘するもの。本気になって祈り求める行為であるということが分かります。わたしにも神さまに祈り求めることがあります。しかし、格闘していると言えるほどに必死になって祈っているとは言えないところがあります。それに対して、やもめとその息子は、祈りを通して、ずっと神さまと格闘しながら、命を繫いできていたのでしょう。それ故にエリヤとつながるという縁を神さまから受け、今回のような大ピンチをも乗り越えて二人は命を繫ぎ続けることができたのだと思います。祈るとはどういうことか、教えられる話でした。
今日のお話が伝えていることは何なのでしょう。一つは、今お話した祈るという行為は格闘であるということです。祈るようなふりをしながら、本気になっていない祈りは、神さまを欺いているといえるのかもしれません。そしてもう一つ伝えているのは、神さまは、弱いものや貧しいもの、厳しい状況にあるものを通して、御業を成し遂げようとされるということです。それは、それらの人たちの祈りが、格闘であるからでしょう。何とか命を繫いでいきたい、愛する者を守りたい、そういった立場にある人の祈りは、神さまに届くし、そういう人を用いて神さまは御業を成し遂げられる。金持ちが天の国に入ることはラクダが針の穴を通るよりも難しいというイエスさまの言葉がありましたが、ソロモンという有能な王でさえ、権力を与えられた後は、神さまに心から祈り求めることがなくなり、王国はあれてしまいました。本当に大切なものは何なのか、そして神さまから私たちを引き離してしまうものは何なのか、考えさせられました。
最後に祈ります。ご在天のイエスキリストの父なる神さま。今日は、神さまは小さい者や弱い者、苦しい状況にある者を通して、その御業を成し遂げられようとすることを学びました。
そのような人たちは目立ちません。しかし、そのような人たちを見過ごさないような心のアンテナを与えてください。そして、本気で祈ることができる者になれますように願います。
イエスさまのお名前によって祈ります。アーメン。