「ペンテコステ」

使徒言行録2章1~13節

 今日は、聖霊降臨日です。弟子たちに聖霊が降った日ですが、この日は教会の誕生日ともいわれています。また、花の日・こどもの日としても位置付けられ、今日は午後から施設に入所されている会員の方を訪問する予定になっていますね。

 イエスさまは十字架にかかって死なれましたが、3日後に復活されました。弟子たちは、その時、自分達も殺されるのではないかとおびえ、みんなが集まって隠れ家で、祈っていました。しかし、復活の週、キリストはそれぞれの弟子の前に姿を現されました。そういうふうに過ごした後、天に昇られました。その時、弟子たちにエルサレムを離れないで、天の父の神さまの約束を待ちなさいと言われたのです。「あなた方の上に聖霊が降るとあなた方は力を受ける。そして地の果てまでに私の証人となる。」そう言われたのです。これは弟子たちに約束された大いなる約束なんですね。

 ユダヤ教には、五旬祭というお祭りがあります。ユダヤ教の熱心な信者たちが世界中から集まってくるそうです。全世界というのがふさわしく遠いところからユダヤ人たちが故郷に帰り、モーセに率いられてエジプトを脱出したことを思い起こすのです。多くの人たちでエルサレム中がごったがえしていたことでしょう。そんなエルサレムの一角にいた弟子たちに、精霊が降られた様子は聖書に書かれています。イエスさまが十字架にかけられて3日目に蘇られてからちょうど50日目にこの出来事は起こりました。

 その時、弟子たちは一つに集められていました。そしてイエスさまが本当に救い主だったという確信をだんだんと強めていたころだと思います。イエスさまをお待ちするという意味でみんな集まったんですね。みんなで心を合わせて祈っていたのです。そうすると、「突然激しい風が吹いてくるような音が天から聞えて家中に響いた」。そしてさらに「炎のような舌がひとりひとりの上にとどましました」。これは神さまがそのお姿を表わされる時には人々に衝撃が起こり、神さまへの恐れが生まれるということを表しています。私たちには打つ手がないのです。恐れるしかないのです。人間は神さまを直接見ることができません。この衝撃の表現が、「突然の激しい風」であったり、「音」であったり、「光」であったり、そういう表現になってます。神さまから送られた精霊は、すなわち言葉であり、光であり、力なのです。「すると一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに他の国々の言葉で話しだした。」と聖書は続きます。五旬祭に集まった人々は、それぞれ世界中から来ているわけですからみんな言葉が違います。弟子たちは、それぞれの国や地方の言葉に合わせて語り始めました。すなわち精霊によって言葉が与えられたのです。

 どんなことを弟子たちは話したでしょう?それはイエスさまの十字架の救いの業を表現するものだったことでしょう。イエスキリストはすごい人だったという証言。そしてもう一つは、降られた霊によって、私たちは神さまへの信仰を得て、信じるものとなった。この二つのことを、人々に語ったのです。イエスさまが弟子たちにした約束「あなた方の上に精霊が下ると、あなた方は力を受け、そして地の果てもの私の証人になる。」私たちは神さまを見ることができませんが、神さまは実際に教会に働いてくださる方です。ですから、精霊が与えられたということは、私たちは、祈ることができるようになるということであり、力を与えられることです。私たちといつも一緒にいて、共に歩んでくださる。これが、与えられた精霊の力です。この松山城東教会は76年前に建てられました。それから教会としての働きがずっと続けられてきました。世界中には何万、何千もの教会があります。四国にも81の教会がありますが、すべての教会が、この日この時、聖霊降臨礼拝を共に守っています。与えられた精霊の力によって、私たちは神さまに信仰告白する。そして、十字架のキリストの福音を伝えていきます。

 わたしたちに聖霊を支えてくださりましたことを心から感謝いたします。精霊の力によって、私たちは神さまに信仰告白することができます。祈る言葉が与えられます。あなたの言葉に聞く能力も得られます。また、あなたの福音の喜びを証言する勇気と力が与えられますことを心から感謝いたします。