説教(2024年3月月報より)

「イエスを裏切る者」

寺島 謙牧師

ヨハネによる福音書6章60~71節  

 先週からレント(受難節)に入っています。主イエス・キリストが受難され,十字架への道を歩まれたことを,特に強く心bにとめる時です。今朝の聖書箇所には,主イエスの語られた言葉につまずき,多くの無名の弟子達が御許を去り,また御自身を裏切ることになるユダについても主が話されたことが書かれています。これらを通して主は,御自身の十字架の意義を語られたのです。かつて,モーセに導かれて荒野をさ迷ったユダヤ民族は,神が下された天からのマンナを食べて,生きながらえました。しかし,結局は皆死にました。主は御自身こそ,永遠の命に到る,真のパンであることを,くり返して話されました。これこそが,主の十字架であることを。
 主はこのことを,直接的な言葉で話されたので,聞いていた弟子達も,その多くがつまずいたのでした。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ,その血を飲まなければ,あなたたちの内に命はない。(58節)」,「これは天から降って来たパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。こめパンを食べる者は永遠に生きる(58節)。」常識的には当然のことでしょうが,弟子達の多くは,これを聞いて「実にひどい話だ。」と言い,主から離れ去って行ったのです。主の言葉は霊であり,命でありました。肉の話ではありませんでした。これを信じた者もいましたが,信じない者もいたのです。主は語られました。「こういうわけで,わたしはあなたがたに,『父からお許しがなければ,だれもわたしのもとに来ることは出来ない』と言ったのだ。」と。このことを我々は,深く心に留めなければなりません。
 我々自身も,空しいものへと心がひかれる時があります。しかし,我々をほんとうに生かすのは霊(聖霊)です。創世記(2章7節)には,「主なる神は,土の塵で人を形づくり,その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」とあります。神の霊で,我々は生きる者とされているのです。主イエスは,この真実を話されたのですが,これを信じない者がいました。特に主が指摘されたのが,12人の弟子達の中の-人,ユダでした。このユダの裏切りは,後の部分で度々述べられますが,主イエスの御生涯の中でも特筆されるべき深い悲劇でした。しかし,12人の弟子の中のペトロは,この時,心からの信仰を明確に言い表しました。「主よ,わたしたちはだれのところ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると,わたしたちは信じ,また知っています。」我々も,この通り信じ,主の十字架が私のためであったことを思い,主の前にひざまずくことを,常に心掛ける者でありたいと思います。