説教(2023年1月月報より)

「神の愛に生きる

寺島謙牧師

ローマの信徒への手紙 8章31節~39節  

 新しい年が始まりました。新年を迎える度に,いっも思い出される人物がアブラハムです。信仰の父とよばれた彼は,75歳の時に神の命令に従って,住み慣れた故郷を離れて旅立ちます。神は彼を祝福しましたが,行き先を明確に示されませんでした。アブラハムは,さぞ戸惑い躊躇したことでしょう。信仰の戦いの末に決断したのです。新年を迎えた我々も,正に同じ場に立たされていると思われます。アブラハムが,多くの困難に満ち,波乱の多い人生を送ったことは聖書に書かれてある通りです。しかし不思議なことに,その度に道が開かれ,神の祝福に満ちた生涯であったのです。我々が迎えたこの新しい年も,同様の歩みになるにちがいありません。神の導きを信じて,確信と希望をもって踏み出したいものです。
 今朝の聖書箇所の冒頭で,使徒パウロは「では,これらのことについて何と言ったらよいだろうか。」と,感極まった-言を述べています。彼はこれまで懸命に求めて来たものを,ついに見つけたので,もう何も言う事はないという心境でしょう。それは,今や神が我々の「味方」になって下さった,という事です。彼は元々ユダヤ教の律法の教師で,キリスト教徒を激しく迫害していましたが,復活のキリストに出会って回心し,使徒となって伝道者として生きるようになった人です。当然まわりは敵だらけでした。苦難の人生でした。しかし,彼ははっきりと,「もし神がわたしたちの味方であるならば,だれがわたしたちに敵対できますか。」と言い切りました。苦難は生涯にわたって続きましたが,過酷な現実の中で,本心から希望をもって歩むことが出来たのは,この事実を見出したからでした。
 私達の現実は,どうでしょうか。程度の差はあっても,それぞれに厳しいことに変りはありません。しかし「神が私たちの味方である」ということは,間違いのない事なのです。神はその独り子である主イエス・キリストを十字架につけ,私達の罪を贖って下さったので,今や敵ではありません。味方なのです。だれも私たちに敵対することは出来ません。
 昨年大きな手術を受けられた高齢の姉妹がこの教会におられます。手術が決まる前は,不安をかかえておられましたが,それが決まってからは,「全てを主の御手に委ねた時,主は憐れんで下さり,私には平安がありました。」と述べられ,手術に臨まれました。手術は成功しました。パウロの言葉は,本当に生きているのです。私達は,弱く貧しく,信仰の弱い者ですが,だれも「主イエス・キリストによって示された神の愛からわたしたちを引き離すことはできないのです。」という言葉を信じつつ,この一年も歩み通したいと思います。