説教(2022年8月月報より)

「ゆるしなさい」 

寺島謙牧師

マタイによる福音書18章21節~35節  

 今朝の礼拝は,平和聖日の礼拝として守ります。昨日は,77年前に広島に原子爆弾が投下されたその日に当たります。広島の記念碑には「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから。」という言葉が刻まれています。しかしウクライナの地その他で,悲惨な戦争が続いているのが現実です。主の御言葉に,「平和を実現する人々は,幸いである,その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ5:9)があります。平和を実現するという,困難で至高な行いの根本は何でしょうか。それは「ゆるし」です。
 弟子ペトロが主に尋ねました。「主よ,兄弟がわたしに対して罪を犯したなら,何回赦すべきでしょうか。7回までですか。」7回赦せば,もう十分だ,とお答えになるのを期待していたのかも知れませんが,主のお答えは「7回どころか7の70倍までも赦しなさい。」でした。主は,人を本当に赦すというのは,限りなく赦すということで,どこまでも赦しなさい,と言われたのです。そして,23節からの譬えを話されたのです。王さまに1万タラントンの借金をしていた家来が,それを帳消しにしてもらったにもかかわらず,100デナリオンを貸していた同僚から,これを厳しく取り立てた,という話です。興味深いのは,この金額の対照です。100デナリオンとはせいぜい100万円です。これもかなりな額ではありますが,1万タラントンは,約600億円で,比較になりません。1万タラントンという超大金の返済を免除された者が,これに比べればはるかに少額の金を貸した同僚から,それを厳しく取り立てる。これこそ,赦すことをしない人の姿です。
 神に創られ,神の愛に生かされている私たち人間。この私たちが,実は返済不能な莫大な負債を神に抱えていた。神に対して犯した罪であります。憐みによって,神はこれを赦して下さった。憐れむとは,痛むという意味です。我々を赦すために,神は共に痛みに耐えられたのです。これこそが,主イエス・キリストの十字架です。これを通して,罪を赦して下さった。1万タラントンの帳消しは,これの誓えです。我々がなかなか赦したがらない,また赦すことが出来ない事柄は,全てこれに比べれば,小さな事柄です。罪の赦しに与かれない人は,一人もいない。全ての人間がこの絶大な恵みのうちにあるのです。
「わたしがお前を憐れんでやったように,お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。」これが神の言葉です。今,私たちに最も大切なことは,この赦しです。赦されたことを知る者だけが,本当に他を赦せるのです。そして赦しこそが平和を生み出せるのです。報復の繰り返しが,戦争を生み出します。これを止めるのはお互いの赦しです。神に赦された者として,謙遜に歩みたいものです。