「エリコの壁」

ヨシュア記6章12~21節

 イスラエルの人々は、モーセさんの後にヨシュアさんを指導者として与えられました。ヨシュアさんが神さまの命令を聞いて、みんなを導くお仕事をしていました。
神さまはヨシュアさんにモーセと一緒にいたのと同じように、「ヨシュア、私はあなたといつも一緒に居るよ。」と約束してくださったので、ヨシュアさんはとても心強かったことでしょう。ヨシュアさんとイスラエルの人たちが、いよいよ先祖のアブラハムさんが神さまから与えられたカナンという土地に帰っていく時がきました。
約束の地カナンを目指して旅をしていたヨシュアさんとイスラエルの人々に大変なことが起こりました。カナンへ行くまでにどうしても通らなければならないエリコという町がありました。この街は立派な城壁に囲まれていたのです。見上げるほどの高い壁を前に、ヨシュアさんはどうしたらいいんだろうと困り果てました。
このエリコの町には、人がたくさん住んでいて、大きな壁があって門はきっちりと閉められており、強い番兵が見張っていて、通り抜けるなんてできそうにありません。それなのに神さまは「エリコを滅ぼしてあなたがたの町にしなさい。」とヨシュアさん達に命令されました。エリコの人たちは、自分たちで作った木や石の像を拝んでいて、本当の神さまのことを知らない人たちでした。ヨシュアさん神さまの命令を聞いてびっくりしました。神さまの命令に従いたいけど、大きな壁のある強い町のエリコを滅ぼすなんてすごく難しいなと困ってしまいました。
そんなヨシュアさんに、神さまはある作戦を教えられました。「これから6日間、神さまの箱を担いで、角笛を吹きながら、町の周りを一周しなさい。そして7日目には7回まわって最後にみんなで大きな声で叫びなさい。」こう神さまは言われました。そんなことをして何になるのかな。高い高い壁、たくさんの人、強い番兵が見張っている固く閉ざされた門。その周りを神さまの箱を担いで6日間回ることでエリコの街を滅ぼせるのでしょうか?
けれども、ヨシュアさんは「どうして?」とか「そんなことをしても無駄だよ」とか「意味ないよ」とかは言わないで、とにかく神さまのおっしゃることを守りました。すると7日目、最後に皆で大声を上げると。大きな地震でも起こったかのようにエリコの町の城壁が崩れ落ちました。ヨシュアさんとイスラエルの人々は戦わずに、武器も使わずにエリコの町を打ち破ることができたのです。こうしてエリコの地はイスラエルの人々のものとなりました。
この昔々に起こった出来事は、私たちに大切なことを教えてくれます。神さまの声、イエスさまの言葉に従うということについてです。
私たちは、毎日生活している中で、いろいろな出来事があります。最近はインスタ映えなんて言って、芸能人や一般人もインスタで日常の嬉しいこと、楽しいことをアップしているようですが、私たちの生活は、そんなに毎日キラキラしたことばかりではありません。
もちろん幸せなこともありますが、同時に、困ったこと、嫌なこと、悲しいこともたくさんあります。そんな時、神さまって本当にいるのか?神さまがおられるなら何してるんだろう?なんて思うことがあります。
ヨシュアさんエリコの高い壁の周りを何日も角笛を吹きながらぐるぐる回られたように、私たちはこんなことをし続けて意味があるのかな?と思うことがあります。毎週日曜日の礼拝や祈祷会、その他いろいろな集会もありますが、礼拝し続ける信仰生活は、この世のこの世的な物の見方からすると、とても静かで地味でキラキラしていないかもしれません。
けれども人の思いではなく、神さまが備えられる礼拝という時に、神さまに信頼して、聖書の言葉に聞き続けることの先には必ず神さまの定められる時、恩恵があるのです。
例えば、1回礼拝すれば、一年に1回だけ礼拝をすれば、すぐに神さまの恵みがいただけたらいいかもしれません。でも、1回だけじゃない。繰り返し、繰り返し、何週間も、何カ月も、いや何年も、何十年も、ひたすらに神さまを礼拝し、御言葉に聞き続けることで、ゆっくりと、じっくりと、深く重く、神さまの恵みは私たちに降り注がれるのです。そのことを信じて、週ごとの礼拝を大切に過ごしたいと思います。

神さま、ヨシュア記から神さまの声に従うということについて教えられ、感謝します。私たちもヨシュアさんに倣って、神さまに素直に信頼し、週ごとの礼拝を大切にしながら歩んでいくものにしてください。どんな時も神さまが私たちと共に歩んでくださることを忘れずに、日々過ごせるように導いてください。