「主の死を告げ知らせる聖餐」
寺島謙牧師
コリントの信徒への手紙Ⅰ 11章23~26節
本日は、世界聖餐日礼拝であるので教会がその始まりから大切に守り続けてきた、聖餐に目を向けたいと思う。聖餐は、小さなパンと小さな器に注がれた葡萄酒に与る食事である。使徒言行録2章42節に、初代教会の様子を垣間見る御言葉が書かれている。「彼らは(信徒)は、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くことに熱心であった」。このパンを裂く食事が聖餐であった。だが聖餐は単なる食事ではなかったことを、使徒パウロは聖書において明らかにする。「わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです」(23)。聖餐は主イエス・キリスト自身からパウロが受けたものであった。パウロは生前の主イエスと出会ったことはなかったが、主によって始められた聖餐が主の弟子達の口伝と信仰によって連綿と教会で行われてきたのである。そして、主の十字架の死によって成し遂げられた罪の赦しと救いの約束を聖餐によって想起することこそ、教会の重要な業となったのである。聖餐は、主の十字架の死を思い起こすと共に、主の復活によって約束された天の国の祝宴に与る希望の命に与る喜びの時なのである。