イエスさまは旅の途中、病気の人を治し、困っている人や弱っている人を癒しながら、ガリラヤからエルサレムへと向かっていました。丘の上にある城壁に囲まれたエルサレムの町の中央にはエルサレム宮殿が建っています。そのエルサレムでは過越の祭りが始まっていました。過越の祭りとは、その昔エジプトで奴隷生活に苦しむイスラエルの人々を神さまが救い出してくださったことをお祝いする大事なお祭りのことです。エルサレムでは大勢の人々で賑わっていました。イエスさまとお弟子さんたちがエルサレム近くのベトファゲという村まで来たとき、イエスさまは二人のお弟子さんたちに言われました。「向こうの村に行くとすぐに、ろばと子ろばがつながれているのが見つかる。それをわたしのところに引いてきなさい。もしだれかが何か言ったら『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐに渡してくれるだろう」とお命じになりました。
お弟子さんたちが村に行くとイエスさまがおっしゃった通り、ろばと子ろばがつながれていたので、ほどいてイエスさまのもとへ連れて行きました。何人かの人に問われましたが、誰も二人のお弟子さんを止めようとしませんでした。連れてきたろばの背にお弟子さんたちの上着をかけると、イエスさまがその背に乗られました。いよいよイエスさまがイスラエルの王としてエルサレムに入城するのです。
本来、地上の王さまや支配者というのは、ろばではなく立派な馬に乗り人々を見下ろすように登場するのではないでしょうか。また、馬は軍隊など戦いの場で用いられていました。一方、ろばは馬よりも小さくて、馬ほど早く走れません。しかしイエスさまは馬ではなく小さなろばに乗り、足も地面に着きそうなりながら、のろのろとゆっくり進まれました。
エルサレムでは大勢の人々が自分の服を道に敷いたり棕櫚の枝や葉を敷いたりして、イエスさまを迎えました。これは王さまに敬意を表す迎え方です。大人も子どももみな、「ダビデの子、ホサナ!」と叫んでいます。「ダビデの子」とは救い主、「ホサナ」とはわたしたちを救ってください!という意味です。人々はダビデ王の子孫であるイエスさまがイスラエルの王さまとなって、その力を発揮してくださるのを願っていました。ローマ帝国の支配による苦しい生活から解放してくださり、ダビデ王の時代のような繁栄をもたらしてくださるのを期待していたのです。イエスさまに向かって「神さまから遣わされた救い主!万歳!」と喜び祝って迎えたのでした。
神の子であるイエスさまはもちろん、ローマ帝国の軍隊を圧倒するような大きな力を使うこともおできになりました。しかしそうはなさいませんでした。数日後人々は、イエスさまが自分たちの期待するような、ローマと戦ってくれるような王さまでないとわかった途端に怒り出しました。そして十字架へ付けよ!と叫び出したのです。このような人間の身勝手な罪のためにイエスさまは十字架への道を歩まれたのです。イエスさまは戦争に勝って世を治める王さまではなく、罪に滅びるしかないわたしたちのために身代わりとなって十字架に死なれ、わたしたちを神の子としてくださる王さまとして来てくださったのです。
イエスさまがお生まれになるずっと前から、聖書にはこのように平和を作る王さまがろばに乗っていらっしゃると約束されていました。この預言の通り、イエスさまは戦いに使うような馬ではなく、弱々しいろばに乗ってこられました。イエスさまは「わたしは戦うためではなく、平和のために来た」のだと伝えておられるのです。イエスさまがなさったことはすべて神さまが預言者に告げられた預言が実現したのでした。神さまの人間を救う愛と平和のご計画を実現するために、イエスさまは、ろばの子に乗ったお姿と同じように誰よりもへりくだって低くなって、誰よりも従順に父なる神さまにお従いして十字架についてくださったのです。
このようにしてイエスさまはわたしたち人間のまことの王さま、まことの救い主となってくださって、今日も礼拝に招いてくださっています。わたしたちも改めて十字架のイエスさまをまことの王さまとして受け入れ、讃美したいと思います。そして小さく頼りなさそうなわたしたちであっても「主がご入用なのです。」と神さまのご用に用いてくださることを感謝して覚えたいと思います。