み言葉のそそぎ 説教題「キリストはわたしたちの平和」
エフェソの信徒への手紙2章14~22節 寺島謙牧師
今日の聖書は、「実に、キリストはわたしたちの平和であります」という言葉から始まつている。これは、「キリストが平和である、キリストが我々の平和そのものである」と読むべき内容である。すると、キリストによって実現される平和というのは、どのような平和であるのか。この手紙が書き送られたエフェソの教会には、ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者の間に、割礼の有無について意見の対立があり、両者の間に敵意が生じていた。ユダヤ人は割礼を含む律法を神から与えられそれを守って生きて来た。一方異邦人は神のことも、神の戒めをも知らずに生きて来た。それでユダヤ人達は自分達が遵守してきた割礼を異邦人も受け、律法を守るべきであると主張したのである。律法は確かに神が人間に与えた戒めである。だが人間は罪故に神の戒めを行うことが出来ない(ロマ3:20)。故にキリストは、規則と戒律ずくめの律法を廃棄された。そしてユダヤ人も異邦人も全ての人間を神の前に立たせ、罪の赦しを与え救いの道を歩むことの出来る一人の人間に造り変えて下さった。そのためにキリストは、御自分の命を十字架に捨てて罪人を贖われた。こうして神と我々人間との間に真の平和が実現したのである。