「強く雄々しくあれ」
ヨシュア記20章1~9節 イスラエルの人たちは、エジプトを脱出し、神さまが約束してくださった土地を目指して、旅を続けていました。長い間、リーダーとして導いてきたモーセが亡くなり、次のリーダーとして選ばれたのが、ヨシュアでした。
ヨシュアは若い頃から、モーセに従い、一緒に旅を続けていました。モーセがいなくなり、重要な役割を引き継いだヨシュアは不安になっていました。
「イスラエルの人たちを、神さまの約束してくださった土地へと導くことができるのだろうか?モーセという偉大な指導者の代わりができるのだろうか?」
心配事を数え始めたら、キリがありません。先が見え坑約束の場所まで辿り着くことができないかもしれない、とうろたえ、おののいているヨシュアに、神さまは言葉をかけます。
「一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く、雄々しくあれ。」
「強く、雄々しくあれ」という言葉が、今日の聖書の箇所には3回も登場します。神さまが、繰り返し伝えたのは、ヨシュアが弱気になっていたからです。
この、雄々しくあれ、という言葉は、危険や困難に直面したときに、恐怖をコントロールする、精神的な強さに焦点を当てた言葉です。心の内側に強さを持ちなさい、という意味があります。
元々心が強い人に与えられた言葉ではなく、自分自身の心が弱いことを知っている人にだけに響く言葉です。そういうヨシュアだからこそ、イスラ工ルの民のリーダーとして選ばれたのです。
私たちが、心の内側に強さを持つことができるのは、神さまがどんな時でも一緒にいてくださることを知っているからです。
神さまが一緒にいてくださることを知った人だけ、心の内側に強さを持つことができるのです。
「一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く、雄々しくあれ。」
ヨシュアは、この神さまの言葉を聞いて安心し、モーセから引き継いだリーダーとしての役割を果たし、約束の地へと導くことができました。
今朝、教会学校に集められた私たちにも、ヨシュアと同じように、新しいことを始めたり、新しい役割を与えられたりする時があります。先の見えない不安に、うろたえたり、おののいたりしてしまう時、神さまは私たちに声をかけてくださいます。
「一生の間、あなたの行く手に立ちはだかるものはないであろう。わたしはモーセと共にいたようにあなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。強く、雄々しくあれ。」と。
私たちの長い人生は全て神さまと共に歩む道です。一生の間、一瞬たりとも見放されることはないのです。
ヨシュアと同じように、私たち一人ひとりの人生の先にも、約束された場所があります。その場所にたどりつくまで、私たちの人生の旅路に立ちはだかる者はありません。
私たちが、人生の旅路を終えるとき、輝かしい約束の場所に辿り着くことができます。そして、そこから今まで歩んできた人生の旅路を振り返ると、一生の間、神さまに見守られていたこと、立ちはだかる者はいなかったことに気がつきます。
私たちの人生の道は、神さまが約束してくださった場所まで続いています。
「強く、雄々しくあれ」という、神さまの言葉を心に止めて、私たち一人ひとりの人生の道を、しっかりと歩んでいきたいと思います。
お祈りします。
天の父なる神さま。今朝、教会学校の礼拝に招いてくださり、ありがとうございます。モーセからリーダーの役割を受け継いだ直後のヨシュアのように、私たちの心も弱ってしまう時があります。けれども、神さまが一生の間、私たちと共にいてくださることを知り、私たちも強く雄々しく、人生の道を歩んできたいと思います。約束の場所に辿り着くまで、一緒にいてください。この祈りをイエスさまのお名前を通しておささげいたします。アーメン。