9月21日

神のために生きる」
 寺島謙牧師
 マタイによる福音書6章16~18節 

 断食は、ユダヤ人の祖先が「イスラエル」と呼ばれた時代から盛んに行われてきた習慣であった。ユダヤ人にとって断食は決して苦行の類いではなかった。断食は常に祈りと共に行われた。それは神に少しでも近づいて神の祈り、そして神の御心に従うための準備こそ、断食の目的であった。断食したから神に報われるのではない。そうではなくてただ神にのみ信頼し神だけに助けを祈るために、飲み食いすることからも離れたのである。さて、主イエスは断食について言及されたが、その意図は断食が一体誰のために為されるものであるかということであった。ユダヤ人の中にはこれみよがしに断食をしていることをアピールして自分の信仰を誇る者達がいた。だが主は、「あなたの断食が人に気づかれず」に行えと命じられた。それは「隠れたところにおられるあなたの父に見ていただくためである」。断食は、ただ天の父なる神のために行うのである。断食だけではない。信仰生活の中で為されるあらゆる奉仕、祈り、我々の生活の全てがただ神のために、神に喜ばれるものとして為されなければならない。それが神に栄光を帰することである。