7月6日

祝福に満ちた生活を歩ませる神」
 寺島謙牧師
 マタイによる福音書 5章31~32節 

 姦淫の問題を取り上げられた後に主イエスは、次に「離縁」の問題について話された。ユダヤの律法では、「妻を離縁する者は、離縁状を渡せ」と命じられていた。「妻を離縁する」というのは「出す」とか「去らせる」という意味であるが、この律法には、夫の身勝手さや不都合によって一方的に家から追い出されることから妻を守る目的があった。だが主は、「不法な結婚でもないのに妻を離縁する者はだれでも、その女に姦通の罪を犯させることになる。離縁された女を妻にする者も、姦通の罪を犯すことになる」と言われて、離縁に対して「否」と言われた。それは人間を造られた神の御心に背くことであるからに他ならない。主はこう言われた。「創造主は初めから人を男と女とにお造りになった」。さらに「それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」(マタイ19:4-6)。離縁の根底には、神に対する人間の罪がある。主が離縁するなと言われたのは、我々罪人を天の父なる神の元に立ち帰らせるためである。