「命に通じる門」
寺島謙牧師
マタイによる福音書 7章13~14節
「門」について主イエスが話された。主によれば、「門」には、「狭い門」と「広い門」があるというのである。この主イエスの言葉を最初に聴いた弟子達はおそらく、建築物としての門を想像したであろう。だが主が言われた「門」というのは実際の建築物のことではなかった。これは信仰の話しであり救いについて語られた言葉である。そして、救いとは「命」に通じる道を歩むということに他ならない。この救いの道は「狭い門」を通ることによって初めて歩むことが出来る。人が生きる道は、命に至る救いの道か、それとも死に至る滅びの道か、その二つしかない。人間さま神の似姿として造られ、神から与えられた命に生かされている。故に神の元に立ち帰る以外に真の命に生きる道は他には無い。だが人間は神に対して罪を犯している。そのために救いに至る道ではなく、滅びに至る道を歩まざるを得ない。しかもその門は「広く、その道は広々として、そこから入る者は多い」のである。だが神は人間の罪を赦して、御自分の元に立ち帰らせるために救いの門を与えられた。それがイエス・キリストである。主は御自分のことを「わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる」(ヨハネ10:9)と言われた。キリストこそ救いに至る狭い門である
