説教(2020年1月月報より)「神が結ばれた契約の虹」

 年の始めに当たり,お一人お一人が神から賜った,生命と生きる道とを学びたいと思います。
 神は全ての生きものを創造され,人間にそれらを治めさせられましたが,人間が悪に染まって堕落したため,これを後悔され,全てを滅ぼす決心をなさいました。人の罪はかくも大きなものでした。これに対する神の御心は,“それ見た事か!”と言った浅薄なものではありません。6章6節にある通り,御自身が心を痛められたのです。これが神のあわれみであり,愛であります。神は,滅びの中に救いを用意なさいました。神と共に歩んだ義人ノアに箱船を造らせてこれを救い,希望を与えられたのです。そして,ノアとその一族との間に,新しい契約を立てられました。「二度と洪水によって肉なるものがことごとく滅ぼされることはなく,洪水が起こって地を滅ぼすことも決してない。」と。
 我々の住む世界には,“楽”もありますが,“苦”にあふれています。しかしなお,その世界に,神のそなえ給う救いがあるのです。本書の9章1節に,人類の繁栄と幸いが語られています。「神はノアと彼の息子たちを祝福して言われた。“産めよ,増えよ,地に満ちよ。”」これは,人間が大洪水による裁きをうけた後の話です。ある牧師は,この部分には人間の罪を見てしまった神が,この罪を引き受ける神として,人間と共に歩まれる決意をなさった事が含まれている,と語っています。神とノアとの契約は,我々に語る契約でもあり,全てのものとの契約でもあります:「二度と滅ぼすことはない。罪あるものとして裁かない。」我々は,この神の約束に対して忠実に生き得るでしょうか。残念ながら,出来ません。今もなお,不誠実な我々です。しかし神は,このような我々と共に歩んで下さるのです。神は,大きな愛でいまし給うのです。昨年,車で高速道路を走行中に,まれに見る,完全な美しい虹を見ました。この時,本日の聖書箇所に書かれている,“契約のしるしとしての虹”を思い出したことでした。
 14~15節には,「雲の中に虹が現われると,わたしは,わたしとあなたたちならびにすべての生き物,全ての肉なるものとの間に立てた契約を心に留める。」とあります。神が思い出されるのです。ゆるぎのない確かさをもって。これが実現した証が,イエス・キリストです。我々の身代りとして,その独り子をお与え下さいました。生においても死においても,主は常に共にいて下さいます。
 聖日礼拝毎に語る祝祷は,旧約聖書民数記6章の御言葉です。「主があなたを祝福し,あなたを守られるように。主が御顔を向けてあなたを照らし,あなたに恵みを与えられるように。」