9月14日

神に愛されている、私」
 寺島謙牧師
 エフェソの信徒への手紙1章3~7節 

 自分は一体何者であるのか、そして自分は何のために今、生きているのか?この問いは、あらゆる時代に生きる全ての人間にとって普遍的かつ極めて重要な問いである。人間の歩みは、先の見通せない多くの困難や試練、苦しみや悲しみが絶えない道程である。それ故に、どのようなときにも覆らない、引っ繰り返らない確かな拠り所、命の土台が我々には必要である。だがそのような拠り所が何処にあるのか、自分を本当に支える土台が何であるか、分からないままに生きているのが人間である。それに対して聖書は、「わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように」と告げた後に、「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました」と教えている。天地を造られた主である神こそ、誉め称えられるべき、我々人間を真実に生かす確かな拠り所、命の土台であるというのである。そして神は、天地創造の前から我々のことを覚え、神の子とするためにキリストによって選んでおられるというのである。キリストの十字架と復活こそ、私が神に愛され、救われて生かされている確かなしるしである。