「モーセの誕生」
出エジプト記1章22節~2章10節

先週、ヤコブからヨセフの二人の子どもに祝福が与えられたお話を聞きました。ヨセフが大臣としてエジプトで活躍してから、何百年も経ったとき、エジプトでは、新しい王ファラオが国を治めていました。そのファラオが、とんでもない命令をしたのです。それは、「イスラエルの生まれた男の子は一人残らずナイル川に放り込め、女の子は皆生かしておけ。」というものでした。どうして、そんな命令を出したかというと、ヨセフによってエジプトに呼び寄せられたイスラエルの人々が、とても増えて、強くなり、国中にあふれたからと聖書に書かれれています。ファラオはそのことにだんだん恐れを感じ、このまま放置して置いたら、イスラエル人にエジプトが乗っ取られてしまうかもしれないと考えたようです。ファラオは、イスラエル人の人々に強制労働を課し、町の建設に当たらせました。それでも、イスラエルの人は増え広がり、ファラオは、粘土こね、レンガ焼きのほか、あらふる農作業などの重労働によって生活を脅かしたと今日読んだ聖書のすぐ前に書かれています。

ところで、ファラオの男の新生児に対する命令は、ナイル川に放り込めというものではなく、「男の子ならば殺し、女の子ならば生かしておけ」というものだったそうです。そして、その命令は、イスラエルの赤ちゃんの出産に携わるヘブライ人の二人の助産婦シフラとプアに命じられました。しかし、神さまを恐れていた助産婦は、その命令に従うことができませんでした。ファラオに呼び寄せられ、問い詰められた助産婦は、「イスラエルの女性は丈夫で、私たちが行く前に産んでしまうのです。」と言い訳をしたそうです。そういうわけがあって、「ナイル川へ放り込め」という命令に変わったようです。しかし、この変更がモーセ誕生の伏線になっていきます。

モーセは、このような厳しい状況の中で、イスラエルの部族の一つであるレビ族の両親のもとで誕生しました。誕生した頃のモーセはとてもかわいかったようで、3か月の間、隠して育てられました。しかし、だんだん大きくなってきた赤ちゃんの泣き声はどんどん大きくなってきます。ついに隠し切れなくなり、モーセの母、そしてその姉、もしかしたらさっきの助産婦も立ち会ったかもしれませんが、ナイル川の川岸に連れていきました。パピルスで籠を編み、防水を施したうえで、葦の茂みの間に置いたと先ほど読んだ聖書には書かれていました。モーセの母たちは、水が増えたら流されてしまうだろう、そうしたらひっくり返ってしまうかもしれない、ワニや野生動物に襲われるかもしれない、そんな不安がどんどん押し寄せてきて、「神さま、どうかこの子をお助け下さい。お守りください。」と必死に祈りながら、去って行ったに違いありません。

その時、そこにエジプトの王さまファラオの娘、王女が水浴びにやって来られました。そして、モーセが入れられた籠に気が付きました。侍女に籠を持ってこさせて開けてみると、そこには赤ん坊がいて、泣いていたそうです。王女はかわいそうになって、このまま放っておくことができなくなり、侍女たちとどうしたらいいものだろうときっと考えこんだことでしょう。「この子はきっとヘブライ人の子に違いありません。育てられなくなり、ここに捨てられたのでしょう。でも、王宮に連れて帰ると、王様の命令に背くことになる。絶対に許してはくれないでしょう。どうしたらいいものでしょう。」そんなことを王女は侍女たちと話したのではないかと想像します。

するとそこに、待ってましたとばかりに、一人の女の子が現れました。その子は、モーセのお姉さんでした。きっと川岸に捨てたモーセのことが心配で心配でその場から立ち去ることができず、遠くから王女たちの様子を息をのんで見守っていたようです。「この子に乳を飲ませる乳母を呼んできましょうか。」と言いました。「そうしておくれ。」と王女がいうと、彼女が早速連れてきたのは、モーセの実のお母さんでした。こうしてモーセのお母さんは無事にわが子を引き取ることができ、大きくなるまで自分のもとで愛情を込めて育てることができました。

この話を読んでいくと、モーセという偉大に人物の誕生の陰には、幾人もの女性の貢献があったことがよく分かります。ファラオの命令に背いてモーセの命を奪わなかった助産婦、モーセを一身に育てた母親ヨケベド、機転を利かせてモーセと母との関係をつなぎ留めた姉のミリアム、そして父ファラオの怒りを恐れずレビ人の子を養子としたエジプトの王女、それらの女性たちの果たした役割によって、モーセは誕生しました。こうして実の母の愛情をしっかりと受けて育ったモーセは、王女の元に連れていかれ、王女の子となり、モーセという名を与えられました。ヘブライ語の「引き上げた」が語源の名前で、王女が「水の中から私が引き上げたのですから。」と聖書には書かれています。

モーセは本来ならば、生まれてすぐに命を奪われてもおかしくない存在でした。そんなモーセが不思議な縁で生き延び、立派に成人してエジプトの王子となりました。しかし、来週の説教で学びますが、後に殺人を犯してしまいます。同胞であるヘブライ人を打つエジプト人を殺してしまったのです。それがファラオの怒りを買い、王宮から追い出され、遠いミディアン(今のサウジアラビアの辺り)まで逃げていきます。そしてそこで結婚して子供にも恵まれました。ところがそこで終わりではなく、80歳になって神さまからイスラエル人を救い出せという召命を受けるのです。神さまのご計画というのは、本当に想像すらできない形で表されます。そして、命がある間は、決して容赦されません。何歳になろうが、定年も引退もないようです。そんな神さまにお仕えできること、命ある限り御業のために用いてくださることに深く感謝したいと思います。そして、神さまは、モーセにあったように、常に側にいてくださって周りの人の働きを通して、私たち一人一人を守り支え続けてくださいます。そのことに感謝して、これからも神さまに従っていきたいと感じました。