「右の手のすることを左の手に知らせるな」
寺島謙牧師
マタイによる福音書6章1~4節
ユダヤ人が信仰生活において大切にしていた善行があった。それは「施し」と「祈り」と「断食」であった。これらは決して人間の普段の努力や熱意によって生み出される行いではない。ただ神の憐れみと一方的な赦しによって、実現する神の恵みであり報いである。だが、いつしかこれらの善行が人間の業となり、それらによって神の義が得られると人々は誤解するようになった。実際に「偽善者」と呼ばれる人々が会堂や街角で他者から褒められるために自分の行いを見せびらかしていることを主は指摘し、「自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない」と警告された。そして「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない」と教えられた。小さな業や奉仕であっても自分を誇ろうとする我々である。だが他者にもそして自分自身にも隠せというのである。宗教改革者、カルヴァンの言葉に「コーラム・デオ」がある。意味はただ「神の御前で」である。我々は既にイエス・キリストの十字架によって罪を赦され、神の御前に義しい者として歩むことが許されている。我々のことを誰よりも深く知り、愛して下さっておられる父なる神が、我々の隠れた小さな業をも見ておられる。そのお方に信頼して感謝して生きることこそ、神が我々に求めておられる大切な事柄に他ならない。