説教(2025年10月月報より)

「主の死を告げ知らせる聖餐」

寺島謙牧師

コリントの信徒への手紙Ⅰ 11章23~26 

 今朝の礼拝は,r世界聖餐日礼拝j として捧げます。教会は2000年の開,聖餐を守りながら歩んで来ました。そして,この聖餐が教会と信徒の信仰を生かして来たのです。つまり,聖餐は教会の命であったと言っても過言ではないのです。ところが,使徒パウロの時代には,コリントの教会では聖餐が乱れて形骸化し,まさにその命が失われる危機に直面しており,パウロは心を痛めておりました。
パウロは,この聖餐は自分が勝手に決めたものではなく,主イエス・キリストがお定めになって,これを行うように教会にお命じになったものだ,とはっきり宣言したのです。パウロはこう言っています。
「わたしがあなたがたに伝えたことは,わたし自身,主から受けたものです。」つまり聖餐というのは,主御自身が食卓を用意されて,私たち教会員をそこに招いて下さる特別な食事であるということです。
 聖餐のルーツ(始まり)は,主が十字架にお架かりになった前夜に,12人の弟子達と共にとられた「最後の晩餐と呼ばれる食事です。その食事の最中,主はパンを裂いて弟子達一人一人に渡され,また食事の後に葡萄酒も同じように渡されたのです。これが聖餐の原型です。決して単なる食事ではないのです。だからパウロはこの手紙の中で,はっきりと書いたのです。「すなわち,主イエスは,引き渡される夜,パンを取り,感謝の祈りをささげてそれを裂き,『これはあなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。また,食事の後で,杯も同じようにして,『この杯をもわたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に,わたしの記念としてこのように行いなさい』と言われました。さらに,ルカによる福音書には,「苦しみを受ける前に,あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと,わたしは切に願っていた(22章)」とあります。この食事は,「過越の食事」でもあったということを,忘れてはなりません。イスラエルの民が,400年にもわたる間のエジプトでの苦しい奴隷生活から解放されたことを,心に刻まねばなりません。
 過越の際に,直接的にイスラエルの民を救ったのは,子羊の血でした。これは非常に大きなことでした。しかし,これには限界がありました。再び何度も,別の苦難がやって来ました。しかし,ここで示された,主イエス・キリストの血による救いは,「新しい契約」であり,そのような限界はありません。イエス・キリストの十字架によって,私たちは神の子となり,本当に神に救われたということです。私たちには依然として多くの試練,苦難,病いや老い,そして死がありますが,しかし,私たちは確かな救いを既に与えられ,永遠の命につながっているのです。