「神に感謝し、勇気づけられた」
使徒言行録28章11~16節
寺島謙牧師
私ども全てに必要な「勇気」。これは,神への感謝から生まれる,というのが今朝のメッセージの中心です。これを聖書から学びます。
使徒言行録28章11節からわかる通り,パウロ(囚人として,自分の無罪をローマ皇帝に直訴するために乗船していました)を乗せた船は,嵐によって難破し,マルタ島に打上げられここで3ケ月間,足止めされました。しかし,使徒パウロの決心は変わりません。行く先のローマでは,何が待っているか分かりません。死刑かも知れません。全乗組員276人は,それぞれ不安と心配に包まれていたでしょうが,パウロは持ち物すべてを失ったにもかかわらず,福音のために,これを断行する気持ちを堅持していました。
再度出発した船は,ついにローマに到着しました。それに先立ちローマにいた旧知の人々は,少し南にあるアピイフォルムとトレス・タべルネまで出迎えに来てくれました。パウロは彼らを見て,「神に感謝し,勇気づけられた。」(15節)とあります。勿論パウロは,出迎えに来てくれた人々に感謝したでしょうが,神が恵みとして,これをなし給うた事を思い,神に感謝し,そして,それによって勇気づけられたのです。感謝から勇気が生まれました。
聖書の中には,「感謝」という言葉が実に多く出てきます。当たり前のことではないのです。本当に居まし給い,私どもによき道をそなえ給う神に対してこそ,私どもはどんな時にも全幅の信頼を神において生きることができるのです。世の多くの人々も,何か,本当に信頼し,守ってもらえるものを求めてはいますが,これを知りません。お札(ふだ)だけではありません。この世の地位,名誉,お金さえも,私どもをほんとうに守ってはくれません。御自分みずからの息を吹き込まれ私どもを創造し給うた,神こそが本当に助け給う方なのです。私どもは,神の似姿として造られ,感謝するものとして造られたのです。それにもかかわらず,感謝よりも不安が多くなりがちな私どもです。とんでもない大きな苦難に遭った後にも,神への感謝を忘れなかったパウロは,罪とその赦しを,十分に理解していた人でした。旧約聖書は,人間の罪の記述に満ちています。新約聖書には,その人間の罪の赦しを告げる,神の御言葉が告げられています。「神は,その独り子をお与えになったほどに,世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで,永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書,3章16節)。
神の御言葉は,感謝を生み,勇気を生みます。勇気は,生きようとする全ての人に必要です。人権,性別,年齢,社会的立場を問いません。「恐れるな,わたしはあなたを嬢う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。」(イザヤ書43章1節)(磯村弘子)