創世記6章14~22節
今朝は、「ノア」という人のお話しです。ノアさんは聖書によれば「神に従う無垢な人」(6:9)でありました。「無垢」という難しい言葉が使われていますが、これは混じりっけのない純粋という意味です。きれいな川の水は透き通っていて泳いでいる魚や川の底まで見えますね。ノアさんそういう透き通った純粋な神さまへの信仰の持ち主であったということです。そしてノアさんはどのように生きたかというと、聖書にはこう書いてあります。14節に「ノアは神と共に歩んだ」と書いてあります。ノアさんはいつでもどこでも、そしてどのようなことが起こっても、神さまと共に歩んだ、生きたというのです。神さまを信じてということですが、ノアさんに神さまのお姿が見えたわけではないのです。神さまの姿を探してもどこにも神さまのお姿は見えない。私たちも一緒ですね。神さまのお姿を見た人は一人もいない。ですから災害や事故や、恐ろしい事件が起こったり、私たち自身が病気になったり苦しいことや辛いことが起こると、神さまのことを信じることが出来なくなったり、やっぱり神さまはおられないと強く思うことがあります。でもノアさんはそうじやなかった。ノアさんも色々と辛いことや悲しいことも沢山あったと思います。でもノアさんは神さまと共に歩んだのです。純粋な信仰、真っ直ぐに神さまの方を向いて、神さまが共におられることを信じて従って生活した。神さまのことをノアさんは忘れなかったのです。そのようにノアさんは神さまと一緒に歩んだのです。そして三人の息子たちが生まれ「セム、ハム、ヤフェト」と名付けました。
そのノアさんに神さまは、ノアさんの息子たちとその家族皆と、地上に生きる全ての動物たちと空を飛ぶ鳥たち、それぞれ雄と雌のつがいが皆人ることの出来る大きな箱船を造りなさいと言われたのです。神さまは御自分がお造りになった人間の悪が地上に増して、人間はいつも悪い事ばかり考えていることを御覧になられたのです。ノアさんが生きていたのほ今から四千年以上も昔のことですが、世界には今ほど多くの人間はいませんでした。でも人間は自分が神さまによって造られ、神さまから命を与えられて生かされている大切なことを忘れたのです。また神さまを信じて生きることを拒否して自分勝手に自分の事ばかり考えていたのです。そこに人間の悪が起こったのです。いつの時代も人間は神さまを忘れ、神さまに生かされていることを拒否する。だから人間の行いは良くならない。戦争や犯罪は絶えないですね。そして私たちの生活も明るくならない。皆が喜んで望みを持ってそれぞれに与えられた命を生きることが出来ないですね。そういう人間の悪、人間の罪を神さまはつぶさに御覧になられているのです。6章7節に神さまが「地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた」と書いてあります。そしてこう言われました。「わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらを造ったことを後悔する」。神さまは大雨を降らせ、人間や他の生き物たちが暮らすこの世界を洪水によって滅ぼすと言われたのです。大雨を降らせ、大洪水を起こして人間や他の生き物を滅ぼされる、神さまは恐ろしいお方のように思うかもしれませんけれど、でもそうじゃない。聖書には、神さまが私たち人間のために「心を痛められた」と書いてありました。心を痛めるということは、神さまは私たち人間のことを真剣に考え、愛しておられたからです。どうでもよい相手のために心を痛めることはないですね。相手のことを大切に考え、失われてはならないかけがえのない存在だからこそ、神さまは悪いことばかり考え、神さまのことを忘れ、背いて生きている人間のために本当に心を痛め、悩み苦しみ痛んでおられたのです。それは人間を神さまはどんなに愛しておられたかということです。神さまが心を痛められたということは、おそらく神さまは涙を流されるほどに私どものことを御覧になられて思い悩み苦しみ痛んだことでしょう。そして何とかして人間を悔い改めさせて御自分の元に帰ってくるように働きかけられたでしょう。でも人間は神さまの呼びかけに答えなかった。ごめんなさいと言って神さまの元に帰ろうとしなかった。いや拒んで無視してなお悪いことばかりして生きていた。それでもう神さまは本当に心を痛めて、もはや人間を滅ぼす他に方法はないという結論に至ったのです。
でも何故ノアだけに、箱船を造れとお命じになられたのかというと、8節「しかし、ノアは主の好意を得た」と書いてあります。これはただ好かれた、気に入られたということではない。ノアも神さまに造られた一人の人に過ぎません。しかしノアは神さまに従う無垢な人でありました。そのノアを神さまは大いにお喜びになられた。そして裁かれる人間を赦してこれを救うために用いることを決意されたのです。それが大きな箱船を造り、もう一度世界を、人間を創造してこれを生かそうとお考えになられたのです。
これから大雨が降って、大洪水が起こるとは思われないような好天気が続いていました。誰もがまさかそのようなことが起こるとは考えられなかったのです。でもノアさんは神さまの言葉に従って、箱船造りを始めました。「ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした」と今日の聖書の終わりに書いてありました。私たちがこうして毎週日曜日に教会学校に集まり、神さまを礼拝していることと似ていると思いました。世の多くの人々は、日曜日に教会で礼拝していることを、馬鹿馬鹿しく思っているかもしれません。でも神さまはノアさんに言われたように、日曜日ごとに教会に集まり神さまの言葉を聞いて、神さまを讃美して礼拝を献げたいと思います。日曜日は、私たち罪人を救うために神さまの元から来られ、身代わりとなってあの十字架に死んで下さったイエスさまが甦られた特別な日です。私たちは既にイエスさまの十字架の死と復活によって赦されて、救われています。色々なことが起こる地上の生活ですが、イエスさまは甦られて、私たちと共に歩んで下さいます。日曜日ごとに礼拝に集まり、イエスさまをお与え下さった神さまの言葉、聖書の言葉を聞いて、ノアさんのように神さまに従って歩んでいきたいと思います。