神様と相撲をとったヤコブ

  創世記32章23~33節

 ある夜の事です。一人の男の人がある川のほとりで、立っていました。ヤコブという名前です。これから川を渡って、二十年以上前に逃げて出た、自分の故郷の村に帰って行くのです。ふるさとにはもうお父さんもお母さんも亡くなって、お兄さんのエソウさんだけが残っているはずです。でもとても迷っていました。お兄さんのエソウのことがおそろしいのです。何故でしょうか。おじいさんのアブラハムさんが神様から頂いた、神様の祝福を、お父さんのイサクさんが受け継いでいましたが、イサクさんが年取って目が不自由なのをいいことに、エソウさんが受け継ぐはずのその祝福を、イサクさんをだまして横取りをしてしまったのでした。どうしても神さまの祝福がいただきたかったのです。兄のエソウさんは大変怒って、ヤコブさんをそのうちに殺してやると言っているのを聞き、遠い地に居るおじさんを頼って逃げて行っていたのでした。

 
 そして二十年、大変苦しい年月でした。おじさんもずるがしこい人で、何かと利用され、苦しい思い、悔しい思いもするうちに二十年が過ぎてしまいました。でもその間も神様の祝福の約束は守られました。結婚して家族にも恵まれ、十一人の男の子と一人の娘が与えられました。財産も増えました。ヤコブさんは、やがて兄や父を欺いた、罪を犯した自分でも、神様は見捨てず、守り、導き、道を備え、幸せを与えて下さった事に気が付き、お兄さんのいるふるさとに帰って、お兄さんにゆるしを乞い、お兄さんと一緒に生きて行きたい、と思うようになったのです。そして家族を連れ、召使いや、家畜の群れを引き連れ、遠い道を、ふるさとへ向かう旅にでたのです。
 もうこの川を渡れば故郷です。ここまで来て、ヤコブさんは迷っています。お兄さんは今でも大変怒っているに違いない。そのお兄さんはヤコブが帰ってくるということを聞き、四百人の手下とともに迎えに出ているということが耳に入ります。怒っているなら、ヤコブさんを攻め滅ぼすためにやってきているのかもしれない。でもヤコブさんはそれでもお兄さんに詫びなけれぼならないと、沢山の家畜や、贈り物を、家族とともに先に行かせ、でも自分は一人残り、川を渡りあぐねています。夜が来ました。ヤコブさんは神様に一生懸命に祝福を祈っています。すると一人の男がかかってきました。ヤコブはそれを受けて取っ組み合います。しかしかかってもかかっても、勝負ほ尽きません。まもなく夜も明けようとするとき、もう離してくれと言い、男はヤコブの腱の関節を外しました。この男ほ人間ではない。神さま御自身ではなかったでしょうか。神様はヤコブの過去の罪の赦しを乞い、祝福を願う必死の祈りに、ついに根負けなさったというか、ヤコブの真剣な必死の祈りに応えて下さったのではないかと思います。


 この後、川を渡って先へ進んだヤコブを、エソウは走って来て迎え、ヤコブを抱き、その首を抱えて口づけし、共に泣いたとあります。真の和解が、神によって成立したということでありましょう。
 私達もこのヤコブの祈りの姿勢にならって、真実の悔い改めと、赦しと祝福を願う、そのような祈りへと導かれたいと思うものであります。