「約束の子、イサクの誕生」

 創世記第21章1~8節

 今日の聖書には、アブラハムさんの奥さんのサラさんに初めての男の子が生まれたお話しです。アブラハムさんは神さまが全世界の全ての人々に救いをお与えになるために、選ばれた人です。やがてアブラハムさんからイスラエルと呼ばれる人々が起こされるのですが、この人たちは神の民と呼ばれました。世界中の民族の中で最も小さいイスラエルでしたが、このイスラエルを通して神さまは御業を行われます。そしてイスラエルを通して世界中の人たちが、この世界がただお一人である天の父なる神さまによって造られたこと、あらゆる生き物が創造されたこと、そして私たち人間が神さまに象られて造られ、神さまから与えられたかけがえのない命に生かされていることを知るのです。そのイスラエルの父と呼ばれた人が、アブラハムさんです。アブラハムさんはこのように世界中の人々に天の父である神さまのことを伝えるために、選ばれた人です。そして神さまのご用を果たす為にアブラハムさんは、75歳の時に神さまの言葉に従って故郷を出発したのです。

 そのアブラハムさんにサラという奥さんがおりました。ところが二人の間には子どもがいませんでした。サラさんもアブラハムさん同様にもう若くはありませんでした。そのアブラハムとサラさんにあるとき、三人の天の使いが訪れました。そしてアブラハムさんに「あなたの妻のサラはどこにいますか」と尋ねました。アブラハムさんは「はい、天幕の中におります」と答えると、天の使いが「わたしは来年の今ごろ、必ずここにまた来ますが、そのころには、あなたの妻のサラに男の子が生まれているでしょう」と告げました。その天の使いの言葉を、サラさんは後ろの天幕の入り口で聞いていたのですが、サラさんは笑ったのです。夫のアブラハムも私も随分歳をとって老人になってしまった。その二人に男の子が生まれるはずはない、そう思ったサラさんは、天の使いの言葉を信じることが出来なかったのですね。それで笑ったのです。私たちがサラさんの聞いたことを聞いても信じないですね。そんなことが起こるはずがないって、笑うと思います。でも神さまはサラさんが笑ったこと、信じなかったことを見抜かれました。そしてアブラハムさんにこう言いました。「なぜサラは笑ったのか。なぜ年をとった自分に子供がうまれるはずがないと思ったのだ。主に不可能なことがあろうか。来年の今ごろ、わたしはここに戻ってくる。そのころ、サラには必ず男の子が生まれている」。

 この神さまの約束が本当に実現したのです。今日の聖書をもう一度読んでみましょう。「彼女は身ごもり、年老いたアブラハムとの間に男の子を産んだ。それは、神が約束されていた次期であった」(2節)。神さまは約束されたことを必ず守られるのです。どんなに人間の目には難しい、不可能、絶対に出来ないことのように思われても、神さまの約束は行われます。
 アブラハムさんはサラさんが産んだ男の子に「イサク」と名付けました。このイサクさんからヤコブさんが生まれ、神の民イスラエルが誕生するのです。そのイスラエルから、イエスさまがお生まれになられました。神さまはイエスさまを通して私たち人間を救い、神の子として下さったのです。もしイサクさんがアブラハムさんとサラさんとの間に生まれなかったら、イスラエルも、イエスさまも誕生することはなかったでしょう。そうしたら、私たちもこうして神さまを知り、神さまを礼拝する教会にも導かれることはなかったはずです。神さまはこのように、アブラハムさんとサラさんにイサクをお与えになって、私たちにも救いの約束を守られたのです。

 皆さん、今日はアブラハムさんとサラさんに与えられた男の子の話しを学びましたが、実は、このお話しは、今、こうして神さまを信じて生きる私たちに対する救いのお話し、祝福をお与え下さるという神さまの約束の話しであったことが分かります。老人のアブラハムとサラさんを神さまがお忘れになられなかったように、皆さん一人一人のことをもお忘れになられないのです。どんなときにも神さまは皆さんと一緒に歩んで下さいます。そして約束を決してお忘れになられません。人生を最後まで必ず導いて下さいます。そのことを忘れないで歩んで参りましょう。