説教題 「終末に向かう生き方」寺島謙牧師
コリントの信徒への手紙Ⅰ 11章23~26節
「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」。これは、使徒パウロがコリントの教会の信徒達に勧めた言葉である。実は教会において、主の晩餐(聖餐)が乱れていた。裕福な教会員達のグループと貧しい教会員達との間に仲間割れが生じ、聖餐のパンと葡萄酒に与ることの出来ない信徒達が生じていた。聖餐は、主イエスの最後の晩餐に由来する。その席で主は「神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい」と言われた。つまり聖餐は、やがて来たる終末に完成する神の国の祝宴を先取りするものである。かつてイスラエルはエジプトを脱出する前夜、子羊の血によって神の裁きを免れたことを記念して、過越の食事を守った。今や神の子が贖いの子羊となって、全ての人間の罪を清めて神の国の祝宴に招かれるためにあの十字架に御自分を捧げられたのである。この聖餐の恵みを忘れていることに教会の問題の根っこがあった。主は来られる。そして信じる者達を神の国の祝宴に招かれる。その終わりの日に向かって、教会は聖餐に与りつつ、主の死を告げ知らせて歩むのである。