「双子の兄弟」

 創世記第25章19~26節

 イサクとリベカが結婚して20年がたち、イサクが60歳になった時、待ちに待った子どもが与えられました。双子だったのですが、お母さんのリベカさんは、お腹の中で子どもが激しく押し合い。争うためにとても苦しく不安であったようです。そこで、リベカさんは、神さまのみ心を尋ねるために出かけていきました。何か問題があったり、苦しいことがあったり、何か解決を求めようとした時には、どこかに祈りのために、そっと家を出て行き、神さまに祈られたようです。自分の祈りの場所、神さまのみ心を尋ねようとする場所をリベカさんは持っていたのだと思います。

 私もそういう場所があります。私は毎日忙しく働いていますので、会社では、一人でお祈りする場所や時間をもつことができないのです。でも、こんなことがありました。月曜日の仕事が終わり、働いているみんなが帰ったあとに、私は、会社のある場所で教会の入り口にいつも掲げている「説教題」を書こうとしていました。その前にお祈りをして、神さまのみ心を問うようにしているのですが、ある時、天に召された弟のことが頭に浮かんできて、自分の力では抑えきれないくらい激しく泣いたことがありました。その時、イエスさまに「大丈夫だよ。弟のことはわたしに任せなさい。あなたは自分のことを頑張ったのでいいのだよ。」と言われたような気がしたことを覚えています。それからもう十年経ちます。このように神さまのみ心を尋ねる場所や時間を、私は月曜日の仕事の後に持つようにしているのですが、リベカさんも神さまに祈ることを大切にしていたんだろうと思います。

 リベカさんは、その後、エサウとヤコブを産むわけですが、双子の子どもは波乱万丈の人生を送ります。しかし、大きな困難を前にして心が苦しくなったときには、「神さま、どうか助けてください。支えてください。」と祈り求めること。そのことによって神さまは、必ず困難を乗り越える力を私たちに与えてくださることを信じています。