7月13日

誓ってはならない」
 寺島謙牧師
 マタイによる福音書 5章33~37節 

 ユダヤ人達は、誓いを立てることを重要なこととして認識していた。だから大事なことがあると天や地を指して誓ったり、エルサレムの方を向いて誓ったり、遂には自分の頭を指して誓うこともあったそうである。誓いを立てるというのは、「願をかける」と同じである。自分の願いや期待が叶えられるためにユダヤ人達も誓いを立てたのである。そして自分達が信じる神に対しても誓いを立てた。それで「偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ」という律法が定められたのである。しかし主イエスは、「一切誓いを立ててはならない」と言われた。誓いは、神にしてもらいたいことが先立って、神の御心を無視しているからである。故に神への祈りと誓いは全く異なる。祈りは、神の御心に自分自身を従わせるために、神に助けを求める信仰的姿勢であるから、誓いを立てることとは全く異なる。我々は自分の髪の毛一本すら白くも黒くも出来ない被造物に過ぎない。人間を造り命を生かしているのは天の父なる神である。その神から与えられた生活を感謝して受ける、これが「然り、然り、否、否」と告白して生きる生き方である。