説教(2020年6月月報より)

 今朝は,ペンテコステ(五旬節)の礼拝を御前に捧げます。12弟子を中心とした多くの人々が熱心に祈っていた所に,聖霊が顕著な形で降った日です。私共は聖日ごとに使徒信条で,「我は聖霊を信ず」と告白しています。しかしこの聖霊とは,どんな存在であるか,私共は必ずしも,つきつめて考えておりません。聖霊によって,人は新しくつくり変えられるのです。私共も,この聖霊なる神によってつくり変えられ,真に勇気を与えられるのです。
 忍耐と苦難の生涯を通して,主の福音を述べ伝えた使徒パウロは,「同様に,“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが,“霊”自らが,言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」と述べています。死に直面するような,きびしい日々を送ったパウロは,この神に信頼し,力にあふれた歩みを通して主を証しました。このパウロの働きなくしては,今日の教会も聖書もなかったでしょう。祈りの人であったパウロでさえ,「どう祈るべきかを知りませんが」と語ります。聖霊が助けて下さるのです。代りに祈って下さるのです。我々についても同様です。ただ,うめくことしか出来ない時もあります。聖霊は共に荷を負うて下さり,うめきと共に祈って下さるのです。神は全てを御存知です。「人の心を見ぬく方は,“霊”の思いが何であるかを知っておられます。」(27節)
 先日発行された「教団新報」(5月30日)に,次男が重い病から癒された体験を持つ,伊予長浜教会会員夫妻の記事が出ていました。一時は,何故このようなことが起きるのだろうと思い,苦しみましたが,「これを通して,神が大切なことを教えておられる。神は生きておられる。」と信じて祈り,これが癒されて次男は回復され,今は教団教師として働いておられるそうです。
 聖霊が共に祈って下さるのです。無益な事は何一つないのです。ヨハネによる福音書14章16節には,主イエスの言葉として,「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして,永遠にあなたがたと一緒にいるようにして下さる。」とあります。我々と常に共にいて,弁護して下さる方。この方は,我々罪人に代って十字架にかかり,救い出して下さった,主イエス・キリストの御霊です。父なる神は,決して我々をお見捨てにならない。この弁護者を送って,我々を助けられるのです。そして,万事を益として下さいます。この方こそが,ペンテコステにおいて,人々に降った聖霊です。この聖霊が常に私共と共におられ,共に祈り,とりなして重荷を共に負うて下さるのです。そして,今日も私共と共にいまし給うのです。感謝して,全てをゆだねて日々を送りたいものです。